万華鏡の世界

自分と自分と時々君

音痴の話

フォロワーさんに音楽や音に関して何か疑問に思っていることはないか尋ねたところ、「音感のある人ない人、音痴な人とそうでない人ってのは、どういう風に違っていると考えられているんでしょう?」という問いをいただいたのでお返事を書きたいと思います。音痴な人とそうでない人の話をすると自然と音感のあるなしに関わってくるので、その辺りを含めて今回は「音痴」について詳しく話をしたいと思います。

 

私達が音痴な人をイメージする時、具体的にどのような人のことを想像するだろうか。おそらくカラオケで音程が取れていない人をイメージしてもらえれば分かりやすいかと思う。そのイメージで統一したい。では具体的に「音程が取れていない」とはどういうことなのか見ていきたい。

音程が外れてしまう原因は二つある。発声の問題と聴音の問題である。発声が原因で音程が外れる人は、声帯などの発声を司る器官の筋肉運動の訓練不足によって音符通りのピッチやリズムに合わせた声の強弱の制御がうまくできていない。つまり、訓練さえすれば発声による音痴は改善することができる。

ではもう一つの原因の場合はどうであろうか。人間は声を出す時、耳で声の強弱や高低は正しいか、伴奏に合っているか、意思通りに音声器官が働いているかなどを常にチェックしている。このフィードバックが何らかの原因で正しく動かないと制御困難に陥り、もはや正しい音程では歌えなくなってしまう。器質的な問題の場合は音痴を解決することができないが、聴音音痴の多くは歌うときに声を出すことに一生懸命になるあまり、自分の声の高さがどのぐらいか、リズム・伴奏に合っているかなどに注意が散漫になってしまっていることが原因であろう。自由気ままに歌っているだけでは、いつまでたっても歌の上達は期待できない。

つまり音痴な人は、訓練不足と注意不足によってそうなっていると考えられる。音感というものは、西洋音楽を聴いた時に、美しさを感じられれば備わっているとされているので、通常音感が全くないということは考えにくい。

 

以下まとめ。

「音感のある人とない人の違い」…西洋音楽を美しいと感じられるか否かという点、もっと根本的なところでいうと、協和音と不協和音の認知ができるか否かという点。

 

「音痴な人とそうでない人の違い」…音痴には発声音痴と聴音音痴がある。音痴ではない人の場合、発声の訓練ができており、聴音もきちんとできているが、音痴の人の場合はどちらかに問題があるか、あるいは両方に問題があるとされている。器質的な原因の場合は改善の見込みがあまりないが、多くは改善できると考えられる。

 

質問にうまく答えきれてない気がしますが、私の持っている知識はこんな感じです。

 

参考文献

『音のなんでも小事典』日本音響学会、2005年、講談社