万華鏡の世界

自分と自分と時々君

柴崎友香『ビリジアン』を読んだ。

 

ビリジアン (河出文庫)

ビリジアン (河出文庫)

 

  ツイッターで感想を書いたので。それを貼りつけ。簡単に。

 

 記憶をランダムに綴った短篇連作だった。色彩感が豊かで情景が事細かに語られているのが印象的だった。記憶は色による印象が強いからそこに関して大変共感した。

 自己の形成を時系列順に、ある一つの物語として我々は持っていることが多いけれど、これはそういった語り口ではないところが面白い。バラバラな記憶、エピソードによっても自分の成り立ちが見えてくるのでは、という推測に挑戦したような小説に思えた。

 以前、人と話していて自分が病気によって何が損なわれたのか考えた時、「自己の物語」の遂行不全に陥っていることを自覚した。記憶によって自分や自分らしさを再編成するのが困難になっていると気づいたのだ。でも、『ビリジアン』を読むと、そういった物語は必ずしも必要ではないことに気づかされる。たとえ「自己の物語」が何らかの理由で途中で断絶されていても、自分を記憶によって再編成することが可能なのでは、とこの本を読みながら思った。どのようにしてそうするのかはこの小説の書き方に則れば良いのではないだろうか。断片的でもエピソードを抽出することがおそらく要となる。

 地続きな記憶の上で自分が成り立っていると考えるのが普通のように私には最初思えたのだけれど、記憶は順序良く行儀良く並んでいるものではない。何かトリガーがあり、浮かんでくるものだと思う。そのエピソードを思い出す中で自分はこうだったんだと再認識すること、それが自分らしさに繋がっている。

 物語が一本の線で繋がっていることに慣れているので、読み物として素直に楽しめたかというとそうではないのだけれど、良い読書経験になったなあという感想。