万華鏡の世界

自分と自分と時々君

音楽に対して何も思うことがないという話

「何も思うことがない」ということがどういうことなのかについて話したい。

私は音楽が嫌いで、なぜ嫌いかというと頭の中で鳴り響いて離れないからである(厳密には、「頭の中で鳴り響く音楽」が嫌いで、音楽の全てを嫌っているわけではない。頭に比較的残りにくい音楽に対しては好意的である)。もうこの時点で「思うことがあるじゃないか」という意見が出るだろうけれども、あえて無視して話を進めたいと思う。嫌いならなぜ音楽について勉強するのか、という問いも簡単に見出だせるが、それは考えざるを得ない状況に音楽が追い込んでくるからである。好きや嫌いといった感情で接しているわけではなく、考えなければならない状況になぜか追い込まれるといった感じだ。私は、幼少期からピアノを習わされ、なんとなくではあるが常に音楽とともに歩んできた。つまり、今更嫌だと振り払おうとしても、腐れ縁のごとくついてくるのが私にとっての音楽というものである。そのため、なぜそのように頭の中で鳴り響くのか、排除するためにそのメカニズムが知りたいと思うようになった。もっと柔らかい言葉でいえば、人の情動を喚起する音楽のその性質についての詳細が知りたい。そのように私の知りたいことというのは、おそらくあらゆる分野から音楽を捉えなければ自分が納得し得ないだろうと考えていて、さらに、捉えるだけでは不十分で構築できなければならないと現段階では考えている。

ここまでで、おそらく私が音楽を賞賛したいわけでも、音楽を通して何かを成し遂げようとしているわけでもないことが分かるはずである。前述にあるように、知りたいことはあるが、私が音楽をする時、考える時、それは必ずしも目的を伴うわけではない。私が音楽について何かを書く時、それは自分の感情を抜いたものであることが多い。なぜなら音楽に対して好きだという感情が希薄だからである。そういう意味では「何も思うことがない」のに、書いているという図になる。実に滑稽である。諸々の音楽に対する評価が淡白であるのも、良いか悪いかは言えても大半のものが好きではなく、関心が低いからである。そんな熱情を欠いた状態で一体何を熱く語れば良いのだろう、何もない。しかし、音楽について多角的な視点で考えるということ自体は好む。なぜなら、考えることが好きだからだ。一番身近で一番知っているであろう音楽はそういった意味で手頃な存在である。この辺りで何か矛盾を孕んでいそうな感覚はあって、人から首を傾げられてもおかしくはないだろう。それに全く思うことがなければ、文章に起こすことは不可能かもしれない。何を書くかに関して、私自身は面白いと感じたことを書くようにしているつもりである。読み手に面白いと思われなければ、それは伝え方がまずいということになるし、(もしくは感覚の相違によりその人にとっては面白くないことである)面白いと思ってもらえれば嬉しく思う。

音楽の話のスタートはいつも「何も思うことがない」。何もないところから手探りで書いている状態である。