万華鏡の世界

自分と自分と時々君

音楽の何が知りたいのか

以前似たような話を書いたので一応貼っておく。

 

emi0x0.hatenablog.com

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30分ぐらいはかけていたであろう、この記事をBackSpaceキーか何かで誤って消してしまったが気を取り直して再び書きたいと思う。

 

先日ある人と話をした。音楽の話というより、主にその人の進路についての話であった。他に適した言葉がありそうだが思いつかないので進路としておくが、ここでは進学や就職といったことではなく、今後学びたいこと、やりたいことといった意味合いである。こういった人の話を聞いていると自ずと自分はどうであるかということが気になるのが性分である。

 

私には指針がない。広大な音楽という分野で学びたいことが多すぎるように思われる。何か一貫性を持ってやっていることではない。このままで良いのかやや不安はあるが、一貫性を持つということにもある種の危険が伴うような気がして割り切れずにいる。しかし、一見一貫性がなくとも、自分は欲しい情報を欲しているに違いないのだから、学んだこと全てが繋がっていくものと期待しているところがある。

 

今私は音楽美学を中心に読書や勉強を進めているのだが、次に向かうとしたら何なのだろうかということをそろそろ決めたい。音楽美学は片足を突っ込んでみたら、存外に深い沼であったことを知り、迂闊に近づくべきではなかったと半ば後悔したこともあった、それほど奥が深い分野である。一生をかけて考えていられそうであるが、私がやりたいことは音楽美学にとどまらない。

 

また、西洋音楽といえば静寂を基盤とした楽音の美しさそれこそが音楽であり、それ以上もそれ以下もない。楽譜にある音、休符が音楽そのものであり、それを分析することが何よりも重視される傾向がある。そのような意味では理論が必要不可欠であり、理論をやらずに音楽をすることは文法を学ばずに小説を読んだり書いたりすることと似ている。しかし、私の興味は理論にはとどまらない。確かに具体的な内容を掴むことは大事であるため、文法を無視するわけにはいかないが、一生文法や語の意味を辿りたいわけではない。では、何に興味があるのか。

 

人と話した時に書店に行き、興味のあるコーナーを見て回った。何かヒントが得られそうである。私がまず向かったのは芸術の音楽コーナーである。理論系に目がいく。やはり何だかんだで理論は大事だ。自分はまだ不勉強な部分が多々あるので、理論は必要である。作詞についての本もこのコーナーにあった。作詞も興味がある。あくまで詩としてではなく、音楽と共にある言葉として、それもそれを紡ぐ側として興味がある。人物についての本にはあまり興味はない。その曲が作られた背景をないがしろにしがちであるため、少しは興味を持ったほうが良いのかもしれない。

 

次に向かったのは美術・陶芸のコーナーだが、今回の話とは関係がないので省略。

 

その次に向かったのはPC関係のコーナーである。DTMに関する本を眺めた。主にエフェクトの使い方や打ち込みについて興味がある。DAWを思いついた時のメモ代わりに使えれば満足で、曲を作ることそれ自体にはあまり興味がない。ツールとして上手く使えれば便利だなという気持ちはあるが、どうも私は創作に対しては他人より関心がないように思われる。

 

最後に見たのは工学のコーナーである。音響だ。特にシリーズになっているものに今一番惹かれていて、全て購入するつもりでいる。音響というと何か物理学的で冷たいイメージを持たれるかもしれないが、私が知りたいのは心との関係性である。なぜピアノの音は魅力的に聞こえるのかや、超音波や超低周波が人体に及ぼす影響などといった側面である。

 

このように振り返ってみると次にやるなら音響関連かなという結論に至った。そして、「なぜ音楽は魅力的なのか」を知りたいのだということに再度気づいた。具体的にどこをどう知りたいのかというところまでは辿り着けてはいないが、音楽心理学的なアプローチにしろ、音楽美学的なそれにしろ、できればあらゆる角度から多面的に音楽を捉えたいという欲求が自分にはあるのかもしれない。

 

音楽を追求したところで、私の生活には何の影響もないし、何か役に立つわけでもないが、知る喜びの前ではそんなことはどうだって良くなるのである。

 

追記

あと関係ない話だけど、洋書のコーナーは案外楽しい。特に何か国語かちょこっとできる人と行くとさらに楽しいと思う。『はてしない物語』があったら絶対に買いたい。