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万華鏡の世界

自分と自分と時々君

音楽に求めていること2

wynnwind.hatenablog.com

 

 

読者の方から反応を頂いたので嬉々として拝読した。そして、肝心のタイトルについて自分が何も言及していないことに気づいたので再度考察したいと思う。

まずこの方は音楽(合唱)に対して次のようなことを求めているそうだ。

 

私が音楽に期待することは「精神衛生の向上」これに尽きる。単純に気分が良くなったり、ストレスの解消になれば十二分である。安くない活動費と時間を消費し、不確かで大きな苦痛を伴う得体のしれない「何か」を得るために合唱をするつもりはない。

合唱と団に対するスタンス - ただの学生の日記

 

 なるほど、確かに音楽にはそのような側面がある。それは音楽そのものの作用としてもそうであるし、音楽するといった活動を通してもある。全くもって仰る通りである。

むしろ、それ以外のことを求める人がいるのか…と思いかけたところで、いるいる、たくさんいるわなと思い直した。心地良さを求めて音楽を鑑賞なり演奏なりする場合は、おそらく趣味的な意味合いが強いのだと思う。そうではなく、引用部分にもあるが『安くない活動費と時間を消費し、不確かで大きな苦痛を伴う得体のしれない「何か」を得るため』である場合もある。まだ他にも考えられるかもしれないが、おそらく音楽に対する姿勢としてはこの二つが大きいのではないだろうか。

 

はて、自分はどちらのスタンスなのだろう。音楽を聴くことに関しては情感を喚起されるから聴く。つまり前者である。音楽を学ぶことに関しては後者な気がする。しかし、「音楽に何かを求めているのか」というそもそもの問題が怪しい気がしてくる。つまり、自分は音楽に何も求めていない可能性がある。

音楽のある性質が私に嫌悪感を抱かせるため、その性質を探るために学んでいる節があると前回も書いたと思うが、音楽ってどういうものなんだろうという疑問に対して音楽を知ろうとする姿勢は宛ら音楽を愛しているかのようにも思える。

「愛」は相手に何かを要求するものではなく、受容と肯定に尽きる。肯定しきれていないので、厳密には愛ではないが、愛という概念を考えた時、相手に何かを要求するものでないという性質が見えて来て、ここが音楽に対する私の感情と似ているなと感じる。

 

そう、私は音楽に興味こそあるものの、何かしてもらおうという効果を期待したり、秩序の輝きを発掘・創造したりしたいと思っているわけではない。ただ側にあり、そこにある、いるから知る、ただそれだけな気がしている。