万華鏡の世界

自分と自分と時々君

川上弘美『センセイの鞄』を読んだ

 

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

 

 

小説全般を読んでまず気にかかるのは、時間の流れ方というものがひとつあるように思う。解説と同じようなことを話すことになるので、今回はそこにフォーカスを当てることはしないが、保坂和志を読んだ時妙に感じていたのも時間の流れ方であった。今回の川上弘美の文章もおおまかには順序良く流れてはいるものの、細かいところで前後したり、入り組んでいたりしており、フックのようなものが至るところに仕掛けられている。そんな印象である。それは時間の流れ方だけでなく、恋愛の話という観点からも同様のことがいえる。若い男女の物語でもなければ、関係性ががらりと変わるようなドラマもない。そういった意味ではよくある恋愛小説とは異なっているし、一癖も二癖もある出来になっている。

恋愛の話と言い切って良いのかも分からないような部分もあるが、仮に恋愛小説だとすると、やはりどこかで性的なものを感じざるを得ないのだが、終盤の終盤になるまで二人の距離感があまり変わらないところから、ひどくテンポの遅いセックスでも見ているような感覚になった。セックスといっても生々しさはさほどなく、綺麗な形となってそれが現れているような感じである。序盤を読んでいる時、あまりのテンポの緩さに半ば眠くて仕方なかったのだけれども、それはつまらないからという意味ではなく、幸福な時間が流れていたからリラックスしてそうなったのだと思う。

「切ない」という感覚は誰にでも起こりうるのかもしれない。あらすじにも書かれてあったし、レビューもいくらか拝見して、そういった語が多く寄せられていた。しかし、私が普段思っている切なさと、『センセイの鞄』に登場する切なさは少し色が違うように思えた。なぜなら、この二人は始めから終わりまで共にいるのである。関係が引き裂かれるわけではない(最後にはなくなってしまうけれど)。ツキコさん目線で書かれているから、ツキコさんがセンセイを追いかけているように見えることがあるのだけれど、センセイもツキコさんに惹かれているのが断片的ながら読み取れる。両想いというものは、片想いし合っている状態なのだ。それは思いが一方的であるという切なさを孕んでいても実に幸せなことである。ゆえにここに登場する切なさには明るい光が多く差し込んでいる。幸福な切なさである。

心の動きを微細に描こうとするとこういった感じになるのだろうか。風景や、動作の描写はあまり多くない。短編小説の集まりを読んでいるような感覚にもややなったのだけれど、ひとつひとつがきちんと繋がっていて、微妙に変わっていくツキコさんの心や変化していくセンセイの動きが胸を高鳴らせてくれる。そしてやはりちゃんと長編の小説になっているところになぜか私は甚く惹かれたのである。

この本は人からいただいたものなのだけれど、よく選んでくれたなあと感心した。なぜなら、私は恋愛小説に苦手意識を抱くことが少なくないからである。読めるものより、読めないものの方が多いのだ。でも、私は一部の恋愛小説や映画をひどく好んでいる。本をくれた主がそれを分かってくれた気がしたのだ。ただの偶然なのかもしれないけれど、そんなふうに思える。きちんと読めるものを贈ってくれたし、この本について興味深い話もしてくれた。ゆえに、私にとって特別な読書体験となった。『センセイの鞄』は、これからも大事にしていきたい本である。

私と私

苦しみの根源を探っていたら、自分のある思いに気がついた。私は調子によって考え方を180度くらい変えることがしょっちゅうある。他人がどうかやそれが普通なのかどうかはさておき、私は躁のときの自分と鬱のときの自分といった、まるで違うその二者を二者とも愛したいという思いがあることに気づいた。そして、すべての自分とすべての時間をなるべく均一に慈しみたいのだと分かった。苦しみが生まれるのは、愛したいのに愛せない時があったり、不均一だったりするからだ。

例えば仕事が辛いとき、仕事そのものに対して嫌悪するということは私の場合実はあまりなくて、仕事を楽しんでいない自分が嫌で辛くなるということがあり、これが苦痛の正体ではないかと思った。仕事を嫌なものだと心で決めてしまうことは可能だし、そうしている人は少なからずいるだろう。でも、私には「諦めたくない」という思いがある。だから、楽しめない時があると、仕事に対してではなく、自分に対して苦痛を感じてしまう。

躁のときの自分と鬱のときの自分は、全く異なる考え方をする二者だが、理性では躁のときの自分を推奨している節があり、鬱モードの思考になると、肯定しないという態度を自分自身に対してとることになる。これは、認知行動療法的には正しいことで、極端な思考を避けたり、歪んだ認知を歪んでいると捉えたりすることは全くもって悪いことではないが、問題は偏った思考をする自分が理性的な自分によって間接的に拒絶されてしまうところにある。つまり鬱の自分は自分から愛されていないと感じる。となると、鬱の自分が登場した時、鬱であるが故に自分から愛されずに孤独になってしまうのだ。さて、どうにかして鬱の自分を愛することができないだろうか。鬱のときの思考を肯定できなくとも受容ぐらいはしてあげても良いのではなかろうか。私のセルフ認知行動療法は次の段階を待っている状態なのかもしれない。認知の歪みを見つけ、自覚し、自分を追い詰めない解釈を考え出してそれを採用するといったことは、確かに思考の拗れは改善されるが、非常に理性的であり論理的な態度である。ゆえに感情的な自分が置き去りにされてしまい、今のような乖離を生んでしまうことがある。もっと良いやり方があるような気がする。

とにかく鬱モードのときの自分を残念な自分だと自分で思わないようにすることがまず重要だ。たとえそれが進捗状況を滞らせるようなことがあっても、それを跳ね除けられるぐらいの肯定感があれば、鬱の私は安心して鬱でいられる。鬱状態の自分がその力を自力で出すのは厳しい。だから、躁のときの自分が力を貸してあげられれば理想的だろう。

鬱のときの良いところを伸ばしてあげるというのも良い線かもしれない。鬱のときの自分は認知の歪みがあるものの、躁の自分にはない明晰さがある。躁のときの自分が飛躍に飛躍を重ねる思考法を取るとしたら、鬱の時は持続的に物事を考えるのに向いている。ただ気力が湧かないせいで、結果的には何も進まないかもしれない。それでも鬱の時の自分は魅力的な文章を書ける可能性を秘めているし、それを言葉にするのは何も鬱の時でなくとも良いだろう。下準備をする期間だと思えば良いのだ。

正直、ここまで書いておいて言うのもなんだが、メタ的な視点で見ると、やはり理性優位であることを認めざるを得ず、鬱の自分というものは何れ殺されてしまうのだと思う。すべての自分を平等に愛するなんてことはできない。鬱で感情的な子どもっぽい自分というものは、やはり全面的に良い自分だとは思い難い。それでも、今ここにいることを完全に否定するのは違うし、その歪んだ考え方を安易に肯定してしまうのも違う。寛大な、限りなく無条件に近い愛が、ただただ鬱の自分を受容するという自分が必要なのだと思う。鬱の自分のために書いたこの文章が鬱の私の癒やしとなり、励みになったのは事実で、どんな時間や自分でも愛したいという思いを諦めずに済みそうなのが何より嬉しい。手と手を取り合って二人が笑っていられたら、私はこの上なく幸福に違いない。

ある女の子のおはなし①

女の子はお母さんとお父さんが大好きでした。そして、女の子は絵本が好きでした。絵本だけではなく、本も読めるようになると、本も読むようになりました。お母さんとお父さんは絵本や本を読む女の子を褒めました。すると、女の子はますます嬉しくなって本を読みました。読書をする、そしてそれを周りの人が褒めるということは、3歳だとか4歳くらいの頃からずっとずっとその後しばらく続きました。

女の子はたくさん親に愛されたいと思っていたので、褒められることならなんでもしました。勉強も元々好きでしたし、その上褒められるので、やらないわけがないという感じで日々勉学に励みました。国語の教科書を音読をすると、先生からシールがもらえるようになった時は音読もしました。シールが大好きだった女の子は、たくさん集めたくて毎日20回くらい音読しました。親が聞いていても、聞いていなくても音読しました。親は忙しくて、1人でいることも多かったので、部屋で1人音読するのでした。本当は親が聞いていなければならなかったのですが、仕方ありません。でも、女の子はズルをすることなく、音読しました。そして親もそれを信じてサインをしてくれました。女の子のシールはどんどんたまっていきました。女の子は嬉しくて、徐々に音読する回数を増やしていきました。そして、毎日50回ほどするようになった時、先生が「本当に読んでいるの?この回数を?」と疑いの目を向けたのです。女の子は真面目に読んでいたのに、ズルをしているのではないか?と疑われたことに対してひどくショックを受けました。「…はい、音読しました」女の子は疑われたことがショックでなりませんでしたが、ズルはしていないので正直に答えました。先生は「ふうん」という感じでシールを貼ってくれましたが、その時私の心には何かが突き刺さったのでした。

それ以来女の子は、何度も同じ夢を見るようになりました。先生が悪者になって、生徒の皆を洗脳する夢でした。不思議な水晶のような玉で生徒を操っている夢でした。洗脳されそうになり、いよいよピンチだという時、いつも必ず目が覚めました。気味の悪い夢でした。「先生は悪者じゃない、先生は悪者じゃない…」分かってはいるのですが、もし先生の教えていることが正しいことじゃなくて、悪いことだったらどうしよう?と不安になる日々でした。でも、家で自主的に勉強していた内容と、先生の教える内容はほとんど同じでしたし、先生は夢の中とは違って優しかったので、やっぱり夢は嘘なんだ、と思うことにしました。

褒められることが何よりの喜びだった女の子は、普通の子が数回やるものを数十回やったり、必ずやらなければならないものを誰よりも早く終わらせたりすることでさらに褒めてもらえるように頑張りました。女の子は勉強も好きでしたが、運動もできたので運動も頑張りました。縄跳びを覚えて、二重跳びが出来た時、すごい!と周りに褒められて嬉しくなり、もっと上達したいと思ったので、毎日縄跳びをするようになりました。そして、前跳びが1000回跳べるようになりました。しかし、「本当に跳んだの?」と言われてしまい、あまり褒めてはもらえませんでした。前飛び、後ろ飛び、交差飛びなどあらゆる跳び方をマスターしました。でも、思っていたほどあまり褒めてもらえませんでした。しかし、すぐに縄跳びをやめることはありませんでした。面白かったのです。二重跳びも交差二重や後ろ二重跳びなど種類を増やしてみましたが、初めて二重跳びが跳べた時ほどは褒めてもらえなかったのと、三重跳びがどうしても跳べないという壁にぶつかり、縄跳びを極めることはそれ以上することがありませんでした。

女の子は、計算ドリルと漢字ドリルが好きでした。一学期の間に最低二回通り終わらせることがノルマとしてあったので、いつもなるべく早く終わらせることを心がけていました。それは次第にペースアップしていき、最終的には漢字ドリルを四日で、計算ドリルを一週間で終わらせるようになりました。しかし、あまりの早さに褒められるどころか周囲から変な目で見られるようになってしまったのです。親も特に褒めてはくれませんでしたが、やらなければならないことを先に終わらせて遊ぶ、ということが好きだったので、そのやり方を変えようという気にはなりませんでした。

女の子は、習字が苦手でした。だから人よりもたくさん努力しなければならない、と思い、とにかく何枚も何枚も書いていました。授業内では満足のいく出来にはならなかったため、家に持ち帰ってその日一日中遅くまで書いていました。冬休みの宿題の時は、必ず100枚書く、ということを自分で決めて書きましたが、100枚書いた事実を誰にも知らせなかったので、特に褒められませんでした。

勉強や運動で褒められることに限界を感じた女の子は、やっぱり読書だ、と本をたくさん読みました。始めの頃は興味の赴くままに読んでいましたが、本を選ぶのが次第に面倒になっていったので、世界の名作集というような厚手の本を好んで読むようになりました。いかにも分厚い本を手に取っていると、周りから「すごい!」と褒められるし、一石二鳥でした。この時期は、広辞苑も持ち歩いて読んでいました。合間にその当時友達の間で話題になっていた本や、おすすめの本として紹介されていたものを読みました。中には表紙の雰囲気で目に留まったものに手を伸ばして読んだものもありました。次第に女の子は読書をすることを褒められなくても良いと思うようになりました。本を読むことそれ自体に喜びを見出したのです。そして、ある作家の本との出会いをきっかけに女の子は書くことにも関心を寄せるようになりました。

 その作家の本との初めての出会いは自宅の本棚でした。家に置いてある厚手の本。ハードカバーで、古ぼけていて描いてある絵が奇妙に映りました。対象年齢を見ると小学校高学年とあったため、低学年の自分でも読めるだろうと思ってその子は読んでみたのでした。なんとなく手にしたものだったけれど、読み進めると予想以上に面白くその後何度も何度も読み直すほどその子のお気に入りになった本でした。
 そうして、女の子が次にその作家の本に出会ったのが学校の図書室でした。例の本は、埃かぶった厚手の本が立ち並ぶところに立っていました。ひっそりと周りに気づかれないように。ほかの本と違う深い赤色の表紙でした。ビロードのようなちょっと高級さを感じさせる素材で、手に取ると角度によって色が変わって見えました。このときは手にとって名前を確認しただけで戻したのでした。
 ある時、女の子が近所の本屋に行くとその例の本と再会しました。出会った時とは違うグレーのケースに入っていたため別の本かと一瞬思いましたが、印象的なタイトルは変わっていませんでした。ケースから取り出して見ると、学校に置いてあったものよりも一層赤く輝いて高級そうな様相を呈しており、描かれている蛇の目がこちらに向くのではないかと女の子は目が離せなくなりました。これは運命なんだ、と思いすぐさま購入し家に帰るなり読み耽りました。
 女の子は以前読んだその作家の本よりも内容的に深くて驚きました。アモラルな童話もそれはそれで好きでしたが、この本の場合はそうではありませんでした。細かなメッセージが装飾のように散りばめてあり、物語の中心となるメッセージもしっかりと全体を通してその存在感を発揮してました。話の題材も良い、展開も面白い、子供でも大人でも楽しめる。ただメッセージを受け取るときに、どの程度感じとれるか、どのように感じとるのかというのは人によって世代によって違うのではないだろうかと女の子は思いました。実際解釈の幅は広くとってあり浅くも深くも読めそうでした。この本は女の子にとってまさに「夢を与えてくれたもの」でした。しかしながらそれは、ファンタジーそのものに対する感動というより、文章表現によって作者より送られたメッセージを感じとれた(と当時思った)ことへの感動でした。文章というのはここまで人に揺さぶりをかけることができるのかと女の子は幼心に感動しました。元々人見知りをよくする天邪鬼な女の子は、会話によって自分の思いを表現するのは苦手でした。だからこそ文章による思いの伝え方に惹かれたのかもしれません。

児童文学に影響を受けた女の子は、小学校低学年の頃から物語を書くようになりました。話の設定や、展開はめちゃくちゃでしたし、稚拙な文章ではあったけれども、何かブレないものがそこには存在しているようでした。それによってその物語は、統一感をかろうじて持っていたし、教師の目には留まる程度の輝きはあったのでしょう。
 ただ、授業で書いたもの以外にまともに完成した物語はありませんでした。なぜなら、アイデアばかりが浮かんでそれを書き出すのが追いつかなかったからです。それにその時の女の子にとっては、書き出す作業よりも図書室にある物語を読み込むことのほうが魅力的で重要でした。暇があれば本を手に取り、時間も忘れて夢中になって読みました。作者ごとに特徴的な文体があり、さらに国によっても時代によっても雰囲気が様々でどれも新鮮でした。

その女の子にとって小学生時代とは、無邪気に言葉を綴る時代でした。ただ書くことが楽しくてたまりませんでした。そして、読むことも楽しかったのです。文章表現の可能性に心躍っていました。詩や物語を好み、書いたものを発表する場で生き生きとしていました、誰かに耳を傾けてもらい共感されることが嬉しくてたまりませんでした。もし女の子がそのまま成長していたら、今でも同じようにできていたなら、それはそれでおめでたいことだったかもしれません。楽しく書いて読んでもらう喜びに浸ってそれで満足する。きっとそういう形もあったのでしょう。それは深い喜びや楽しさを味わえずに終わる道なのかもしれませんが、それと同時に表現や本の「現実」を目の当たりにしなくて良い、苦しみや辛さを感じなくて良いというメリットがありました。しかし、女の子はある問題にぶつかることになります。

2つの交響詩に見るドイツ、フランス的音楽の世界観 

 今回は、リヒャルト・シュトラウス交響詩英雄の生涯》、クロード・ドビュッシー交響詩《海》。この2作品を通してこれらの作品の背景にある「ドイツ的」「フランス的」なるものがどのようなものであるかを考察する。



この2作品が書かれた時代は、音楽史では後期ロマン派と呼ばれることが多い。ただし、フランスの印象派音楽もこの時代に重なっている。後期ロマン派が生まれたのは、ワーグナーニーチェが大流行し、ヨーロッパが芸術的にも科学的にも盛んであったという時代背景がある。ワーグナーの没後から第一次世界大戦勃発までの凝縮されたおよそ30年に多くの作曲家が曲を残している。今日の演奏会でよく奏されるレパートリーは、およそこの時代までのものがほとんどで、西洋音楽史の書籍を幾らか見ると、これ以降の話はこの時代までの内容と比較して極めて少ない。西洋音楽史西洋音楽史として語られる確固たる時代は第一次世界大戦勃発までであったのではないかと考える。というのも、第一次世界大戦音楽史に深い関係があったのではないだろうか。パトロンだった教会や王侯貴族はこの時代よりもさらに前に崩壊していたが、それを引き継いだヨーロッパの社会的基盤も第一次世界大戦によって失われた。これにより、第一次世界大戦以降の音楽はそれまでの流れとは異なる無調時代や、その他の複雑な流れを作り上げていくこととなったのだ。



リヒャルト・シュトラウスドビュッシーの時代について述べる前に、ロマン派音楽に戻って2作品の曲の背景を探る。

ロマン派音楽は、西洋音楽史において言うまでもなく重要で名曲の多い時代であるが、その名曲、名作曲家が現れることに密接な関係があるといわれているのがこの時代に生まれた新しい聴衆層である。18世紀以降、音楽の市民化の流れが急速に広まり、それまでの貴族と教会のためだった音楽が市民をも楽しむことができるようになった。市民にとって音楽のある暮らしがある種の社会的ステータスとなっていた時代である。そのため、パトロンの要求に応じて曲を書く作曲家にも影響を及ぼし、芸術家は独創的に曲を作ることが可能となった。一方、音楽の一般化、民主化に伴い聴衆の質は低下した。18世紀のパトロンたちが全員選りすぐり目利きのプロであったとは断言し難いが、職業音楽家をも凌ぐピアノの腕をもった貴族のパトロンや、楽器の家庭教師を行っていた者もいるほど音楽には厳しい目を持った聴衆層であった。そのような聴衆の変化によって、知的で繊細な音楽よりも不意打ちによりあっと言わせる音楽の方がより聴衆の心を掴むものとして(1830年出版の教本『作曲について』より)、それに合わせていった作曲家も多くなった。

このエンターテイメント的な要素によって演奏家の演奏技術も向上し、高度な技術を必要とする曲が多く作られた。高度な演奏技術や聴衆をあっと言わせるような音楽は、特にパリで栄えたといわれている(岡田暁生:『西洋音楽史』148頁-149頁)。19世紀にはグランド・オペラも流行した。主にパリの上流階級に愛された。貴族とは異なる革命の合間に成金となった者達である。この聴衆層は高級サロンで音楽を鑑賞したため、サロンでの評判により成功をしようとした作曲家達がこぞってこの者達へのための曲を書いた。サロン向けの音楽は比較的聴きやすく、華やかで尚且つセンチメンタルである。ショパンやリストの曲(の一部)がそれに当たるといわれている。

クラシックを小難しい音楽だと思っている現代の一般人も多いが、その印象は和声により綿密に構築されたドイツの音楽の印象からきているのではないかと推測する。通俗化した音楽が流行したこの時代とは対照的に、同時期のドイツでは異なる音楽文化が発展した。堅実な教養市民階級に支えられるドイツ語圏の音楽は無駄な装飾をつけない、内容の充実したものが求められた。シューマンブラームスワーグナーがこれに当たる。19世紀のロマン派ドイツの器楽音楽の流れは大きくわけて3つある。1つは、シューマンの初期ピアノ曲メンデルスゾーンの《無言歌》に代表される、詩的なピアノ小品集である。2つ目は無言歌より、もっと理念的なものを表現しようとした標題音楽である。リストやワーグナーが手がけた作品にみられる。3つ目は絶対音楽である。ウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックは「『この音楽は何を表現しているのか』という問い自体が無意味であって、音楽とは音楽以外の何者でもありえず、音楽の内容とは音楽である。言語に可能な表現領域を徹底的に切り離すことでこそ、音楽は『絶対的』になる」という考えをもっていた。ハンスリックは一般にワーグナーと敵対関係にあったといわれている。この3つ目の代表的な作曲家はワーグナーである。

ドイツ語圏での中心ジャンルは交響曲で、聴衆は謹厳実直な中産市民であった。グランド・オペラやサロン音楽が栄えたのはパリで上流階級によく聴かれた。異なる音楽文化が同時期に繁栄したが、どちらも聴衆による影響があったに違いない。聴衆を感動させる音楽が求められ、作られた時代であった。



フランスの音楽はバロック期から19世紀半ばまで自国の名作曲家がほとんどいなかった。そんな中、1871年に「フランスにもドイツに負けない正統的な器楽文化を作ろう」という名目で国民音楽協会が設立される。国民音楽協会は、ドイツ音楽の主流となっているソナタ形式やフーガ、交響曲弦楽四重奏曲を導入しようとし、ドビュッシーを代表とする印象派と称される作曲家たちはそれを拒否しつつ、ベースにしてフランス音楽独自のアイデンティティの構築を目指した。

サロン音楽やグランド・オペラの通俗的なもの、軽薄さはドビュッシーに引き継がれている。とはいえ、今回挙げた交響詩《海》はドイツの交響曲が根底にあり、それを意識的にフランスらしく発展させたものであるために、私は「あえて」フランス特有の軽薄さや通俗性を表出させているのではないかと考える。ドビュッシーの音楽は、サロン音楽の伝統の延長線上にある洗練された、基こなれた音楽なのだ。

「あえて」とつけたのには他にも理由がある。ドビュッシーの音楽を聴いていると、先ほどの交響詩《海》しかり前奏曲集しかり茫漠とした音の響きを感じる。抽象的で色彩的な感じといえようか。しかしながら、この茫漠とした音の響きは茫漠とした感覚でつくられたものではないのだ。つまり、ただてきとうに作られたのではなく、和声法や管弦楽法を巧みに操ることができた上での表現である。これはフランス系作曲家に多く、ドイツ系作曲家があえてサロン音楽っぽい音楽を気取ったり、抽象的、娯楽的な方向に走ったりすることはなかった。



その一方、シュトラウスの音楽は確立された形式、和声、巧みな管弦楽法を重んじたドイツ音楽の最後の輝きのようでもあった。後期ロマン派と呼ばれるある種退廃的な熟れきった果実のような様相である。物量的にこの時代のドイツ音楽は凄まじく、マーラーシュトラウスともにオーケストラは大編成であった。交響詩英雄の生涯》は裕に100人以上を必要とする大編成であり(105名)、客の心を瞬時に鷲掴みにするような始まり方が特徴的である。この曲だけでなく、《ツァラトゥストラはかく語りき》や《アルプス交響曲》などその他の楽曲にも見られる。前半テンポが速く壮大であるのに対し、後半はゆるやかな流れで穏やかである。少なからず厭世的な、ニヒリズムの要素は音楽批評論や、書籍でいくらか書かれているが、否定している文献もあり定かではない。確かに曲調はニヒリズムを全く感じさせることはなく、壮大で華やかである。

しかし、シュトラウスの曲は冒頭がクライマックスだと思わずにはいられないほど素晴らしいのにかかわらず、その後は比較的穏やかでベートーベンのように期待するほどの山がなく、徐々に萎えていき最後は諦念の中で消え入ってしまうように曲が終わる。ニヒリズムといえばこの時代は先ほど述べたようにニーチェが大流行していたが、シュトラウスニーチェを崇拝していた。ニヒリズムが同居する世界観はニーチェとも相似しているのではないだろうか。それはこの曲以外の《ツァラトゥストラはかく語りき》からも推測することができる。この作品はニーチェの著書に促された思想を出発点としている(しかし、ニーチェの言葉を音楽として表現したものではない)。このようにして交響詩英雄の生涯》は思想と深く結びついたいかにもドイツ音楽らしい曲であった。



ドビュッシーシュトラウスはほぼ同時期に活躍した作曲家だが、その曲ができる背景、そして曲そのものの様相は全く異なる。ドイツ音楽に対抗し、サロン音楽、グランド・オペラを発展させ、軽薄さや通俗性をあえて表出させた色彩感豊かで抽象的な印象派音楽。内容を重んじ、理念的、哲学的な音楽を追求し続けたドイツ音楽。この2つが同時に存在した特に第一次世界大戦以前の時代が内容の濃密な、音楽史には必要不可欠な時代であったことは紛れもない事実である。



参考文献

浅香淳:『新音楽辞典(楽語)』音楽之友社 1977年

上尾信也:『音楽のヨーロッパ史講談社現代新書2006年

大町陽一郎クラシック音楽のすすめ』講談社現代新書1992年

岡田暁生:『西洋音楽史中公新書2008年

岡田暁生:『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書2009年

野村良雄『改訂 音楽美学』音楽之友社

宮下誠:『20世紀音楽 クラシックの運命』光文社新書2006年

西加奈子『うつくしい人』を読んだ

 

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

 

 

西加奈子の『うつくしい人』を読んだ。始めの数行を読んだだけで、ああ読みやすいと思っていたが、読み進めていくうちにやはり読みやすいなと頷く文体。たくさんの本を読めた時代に戻れたような、そんな感覚を促してくれる文章だった。

海は偉大だな、と思う。そこにあり、刻々と変化していく。光る波やその青さが見る人に何かを考えさせる。自然の美しさというものを認めざるを得ない。敗北しましたという気さえ持っていかれて、どうでも良くなってくる。この本でも海は度々登場し、美しさを考える上で重要な存在となっている。主人公のそばにはいつも姉の存在があった。海のように彼女はそこにいた。そこにいただけで事実美しかった。それは容姿が、立ち振舞いが、などと分かりやすい部分でもそうだし、生き方として捉えたときに清々しいほどに「周りを気にしていない」という部分が主人公にとって魅力的に映っていた。しかし、主人公にとってただ魅力的なばかりではない。姉は主人公の考える「社会」からは爪弾きにされてしまった。それほどに徹底して周囲を考えない人だったように描かれている。主人公はそうはなりたくなかった。だから姉に対して嫌悪感を抱いていた。この嫌悪感、そして周囲に動じない人を美しいと感じる美的感覚を主人公は自分で形成していることに始めは気づいていない。

姉に憧れを抱きながら嫌悪感を抱いている主人公の心理を上手く描いているなと感じるのは、それが一見して矛盾しているからであり、おそらくそこを評価する人は多いのだろうけど、私がそれ以上によく書けているなと感じたのは冒頭から途中まで続く張り詰めたような自意識の様子だった。ここはぼんやりと想像するだけでは書けない、作者自身の体験が詰まっているように見えた。それも、それをどうにかしたくてあえて見つめて書いたのだろう、と。作者は物語を書くことで苦しみから逃避したのでなく、そこに立ち向かっていったのだと思えてならなかった。書いてあることそのものも痛々しくてたまらないのだが、自己の苦しみを見つめて、じっと感じとり、それを表現したことに胸を締め付けられる思いがした。

しかし、あまりに冒頭の内容が鮮明すぎて、その後の展開や描写に詰めの甘さを感じてしまったのは私だけだろうか。2人の人物の登場にあまり必然性を感じないし、彼女が徐々に回復していく姿もなんだか冒頭の描写の細かさに比べると粗くて、穏やかなラストへ向かって淡々と進んでいくように感じられた。この描写のムラは意図的につくられたものである場合もあるが、今回の話ではそうだとは思えなかったし、仮に意図されたものであったとしても、上手く働いてないなと思ってしまう内容だった。

ノーデリカシーな存在(男2人)が登場したのは面白い。登場する人物皆それぞれが極端な感じがして、そこにさほど現実味は感じられないのだけど、この話に浸っている間はそれが分かりやすくもあり、愉快でもあった。救い、なのだなと思った。文字通りこの話では主人公の救いにもなっているし、内容的にも暗い夜道を照らす街灯のような存在でもある。

さて、海は刻々と変化すると冒頭でも言った。本にも書かれてあるが、海が変化するように主人公もころころと変化する。つまり、主人公も主人公の思っている「海」たりうるし、姉の美しさは主人公の意識次第で変化するようなもののである。そういった美しさは「本当の」美しさなんだろうか。話が少しそれるが、海の美しさは他にあるのでは。姉は実は海のようではないのでは。当たり前だが、この話は、海のような美しさを描いたものではない。海はあくまでモチーフの1つだ。そして、ものの見え方について描かれており、美が主題ではないのだ。『うつくしい人』とあるようにとりわけ人物、あるいはものの見え方、そういったものを考えて描かれている。もっと分かりやすくいえば、捉え方次第で変化するような幸福の類の話なのだと思う。それは、日常で私達が触れやすい話だと思うし、よく考えられるべきことなのだが、私には贅沢な話だなというようにも映った。主人公はお金に困っていないし、容姿もとりわけ悪いわけでもないし、境遇もそこまで不幸ではない。ほんの少しつまずいてしまっただけなのだ。でもそれが当人にとっては大問題で、だからこそいかに書くかという切り口の良さが問われる内容になっている。

有り余る時間をこの本を読むことで少し充実した気になれるなら十二分な内容だけど、私が今欲しているのはもっともっと人間の根深い問題に迫る話やもっと切実な何かなんじゃないかと読みながら思った。けど、そんな大層なものを小説に求めるべきではないなとも思うし、私も海は好きで似たようなことを考えたこともあったのでこれはこれで良し。

めちゃくちゃな読み方しかできない私の感想文は、多分この本を読む人の邪魔にしかならないのであまりおすすめしない、と最後にずるいことを言ってこの感想文を閉じたい。

音楽は何かの役に立つのか

「◯◯は何の役に立つ?」という話、結構各方面で繰り広げられているし、私があえて書くことでもないような気がするのだけど、音楽をやる立場としては無視できないことであるため、書いてみようかと思う。始めに述べておくが、私は「役に立つ」という言葉が好きではない。それは、芸術や勉強は「役に立つ」からやるものではないからである。後にも記述するが、「役に立つ」や「価値」という言葉はビジネスや物質的なこと、つまり即物的なものに普通は使われる言葉であって、芸術や教養のようなものには適用されないのが一般的である。それを踏まえた上で、あえて使ってみたい、考えてみたいと思ったのだ。即物的でないものには本当に価値がないのか、役に立たないのか。それを今一度見つめてみようと思う。

音楽は食べ物のように「生きるために必ず要るものではない」からお腹が空いて今にも死にそうな人に与えても何ら役には立たない。お腹が空いている例でかろうじて役に立つのは、まだ多少の余裕があって何時間も耐えなければならない時、音楽で気を紛らせることができるという程度であろう。しかし、緊急性はないにせよ「生きるために必ず要るものではない」というのは本当だろうか。

まず、「生きる」とはどういうことかという定義によって音楽が生に必要かどうかが変わってくるのではないかと思う。単に呼吸をしていることが生きることになるのなら、極端な話、鎖に繋がれて飼われていても良いわけであるが、そんなのは人間的じゃない、とすぐに否定されるだろう。そのため生存権のように「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが人として生きるということではないか、と考える。つまり、人として生きるということにはある程度文化的な生活であるということが必要であるわけだ。

「必要」という言葉が使われるのは、即物的なものに対してであることが多いように思う。つまり、物質的なことや金銭的なことが優先される。食べ物であったり、仕事であったり。即物的な見方をした時は芸術というものには価値がないということになる。これも本当かどうなのか怪しい。それを認めてしまうと、先ほど言った人として生きるということは、文化的な生活が必要であるという言い方が適切ではなかったということになる。

よく理系学部や法経済学部は「社会の役に立つ(つまりお金になる)」とされ、対して文学部や芸術学部は社会の役に立たない(お金にならない)と言われるが、これも即物的見方によるものであって、それがすべてではないのではないかと私は思うわけだ。音楽に限っていえば、ポピュラー音楽をやる学科に関しては商業音楽と通じているため、即物的に「役に立つ」ということができる。

では、その他の音楽を含む芸術をやることの意義とは何なのか。即物的ではない必要なものとは何なのか。それについて考えてみたい。

即物的でないものと即物的なものとの違いは「お金になるかならないか」が一つの指標であるというのがぼんやり見えてきたように思う。ではなぜ、お金にならない大事なものが存在するのか。それはひとつには芸術や教養の経験には形がない、形にしにくいという性質があるからではないかと考える。お金は、その金額を払えば誰でも平等に手に入れることができるというものに対してのみ有効である。だから物や誰でも経験できることに対しては値がつく。それは芸術作品でもそうで、本やCDには値段がついている。そのものの価値の上下はあるにせよ、形あるものには値がつけられるという意味では、芸術作品も他の物と何ら差がない。混乱を招く言い方をするが、そのような意味では芸術にも価値があり、「役に立つ」ということが間接的には言えてしまう。

しかし、私が考えたいのはそのような脈絡での話ではない。小説の本は400円台と安く、音楽のコンサートは1万、2万とかかるが、「価値あるものほど高い」などという話をしたいわけではない。(かといって需要と供給の話がしたいわけでもない。)400円の小説を読むことがその人にとってそのまま400円の価値にならないのは、芸術が即物的な価値に留まらないことを示しているのではないだろうか。さらに、書くことに至っては紙とペンがあればできてしまうが、その価値は材料費とイコールでは結べない。これが、即物的ではないものの価値にあたるわけだが、それを人らしく生きるために必要であるというにはまだまだ足りない。

芸術が何の役に立つのかという問いには簡単な答えとして、「お金にはならないけど、人を豊かにするものだから絶対に必要なんだ」という話を耳にタコができるほど聞いてきた。ここでやはり重要になってくるのは「人を豊かにするものがそんなに大事なのか。そもそも人を豊かにするとは一体何なのか」ということである。

人の進化論について論じるとまたややこしくなるので進退という概念は用いずに発展という概念でみていきたい。人を豊かにするということは、人の心を豊かにするという意で、それは何か不足していたものが満ち足りたり、多様化したりした時に用いられる言葉であると推測する。例えば花が咲いているのを眺めている。単純に「ピンクの花だ、綺麗だな」とまず思う。良く見ていくと花弁の数や、花粉があることや、茎のみずみずしさを見出すことができる。「綺麗だな」と思っていたものがより多様に見える。ここですでにこの人は認知できるものが増えて「心が豊か」になったといえる。人の情感を喚起したり、より鮮明にしたり、物事が人に与える影響というのは測り知れない。するとここで本が登場する。花がどのようにして生きているのかは植物の本を見ると分かる。自分では思いつかないような花の捉え方は小説によって見えてくることがある。よく見るだけでも人の心は豊かになるが、それとはまた違った方向から本によって心が刺激される。そのようなことが、(この場合本が)「人を豊かにする」ということなのだと考える。発展ということばを用いるとすれば、その意は「より◯◯になる」ということである。より捉え方が増えたり、多様になったり。そのようなことは、人が生を謳歌する上で必要である。というより、生きているとそうならざるを得ない、つまり、生きるということは発展するということであると言っても差し支えがないのだ。学問や芸術が生を肯定する活動とみなされるのは、学問や芸術が発展してきたという歴史があり、発展性を有しているということが明白であるからである。心が豊かになることが大事なことであるとされるのは、生きることが人にとって大事であるからということに他ならない。生きることがもし、人にとって大事なことではないのだとしたら、確かに学問や芸術も大事なものではないし、大事なことが何もないような感じがしてしまうだろう。しかし、死に重きを置く価値観を持っていたとしても、我々が今現在生きていることに何の価値も生まれないというのは本当だろうか。死に価値があり、生に価値がないといえるのは死んだ後の自分であり、生きているうちの自分ではないはずである。そうなる以上、消極的に見ても生きているうちは生きることが重要であるといえるのではないだろうか。発展とは、生のようにすでに進行している何かであるのかもしれない。生きていることの価値の有無を議論すると、もうその段階で発展性が生まれている、発展がそこにある、その意味でそれは生きていることの価値をすでに認めてしまっていることになる。生きている者が生きていることについて考えるのと同じく、すでに進行しているものなのだから、否定するのは困難に近いという状態になる。だが、私がしたいのはそんな消極的な見方ではない。ここに至るまでに必要な過程ではあったが、これを主軸だと思われては困る。ただ、即物的ではない必要なものが存在するということはこの段落でなんとなく掴んでもらえたのではないかと思う。発展性を有したものとお金になるかならないかという指標は交わるものではないのだ。

さて、人間と同じように人のつくったモノ(学問や芸術)に発展する性質があるのは認めるし、それが人にとって重要であることも分かってはきたが、「音楽は何かの役に立つのか」ということについて説明が十分にはできていないように思う。言い換えれば、音楽の性質がいかに人の心の発展に繋がるのかということについてまだまだ話せていない。というわけで、音楽にはどのような性質があるのかをここで考えてみる。

 

とここで一旦ストップです。続きはまた後日更新します。