万華鏡の世界

自分と自分と時々君

西加奈子『うつくしい人』を読んだ

 

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

うつくしい人 (幻冬舎文庫)

 

 

西加奈子の『うつくしい人』を読んだ。始めの数行を読んだだけで、ああ読みやすいと思っていたが、読み進めていくうちにやはり読みやすいなと頷く文体。たくさんの本を読めた時代に戻れたような、そんな感覚を促してくれる文章だった。

海は偉大だな、と思う。そこにあり、刻々と変化していく。光る波やその青さが見る人に何かを考えさせる。自然の美しさというものを認めざるを得ない。敗北しましたという気さえ持っていかれて、どうでも良くなってくる。この本でも海は度々登場し、美しさを考える上で重要な存在となっている。主人公のそばにはいつも姉の存在があった。海のように彼女はそこにいた。そこにいただけで事実美しかった。それは容姿が、立ち振舞いが、などと分かりやすい部分でもそうだし、生き方として捉えたときに清々しいほどに「周りを気にしていない」という部分が主人公にとって魅力的に映っていた。しかし、主人公にとってただ魅力的なばかりではない。姉は主人公の考える「社会」からは爪弾きにされてしまった。それほどに徹底して周囲を考えない人だったように描かれている。主人公はそうはなりたくなかった。だから姉に対して嫌悪感を抱いていた。この嫌悪感、そして周囲に動じない人を美しいと感じる美的感覚を主人公は自分で形成していることに始めは気づいていない。

姉に憧れを抱きながら嫌悪感を抱いている主人公の心理を上手く描いているなと感じるのは、それが一見して矛盾しているからであり、おそらくそこを評価する人は多いのだろうけど、私がそれ以上によく書けているなと感じたのは冒頭から途中まで続く張り詰めたような自意識の様子だった。ここはぼんやりと想像するだけでは書けない、作者自身の体験が詰まっているように見えた。それも、それをどうにかしたくてあえて見つめて書いたのだろう、と。作者は物語を書くことで苦しみから逃避したのでなく、そこに立ち向かっていったのだと思えてならなかった。書いてあることそのものも痛々しくてたまらないのだが、自己の苦しみを見つめて、じっと感じとり、それを表現したことに胸を締め付けられる思いがした。

しかし、あまりに冒頭の内容が鮮明すぎて、その後の展開や描写に詰めの甘さを感じてしまったのは私だけだろうか。2人の人物の登場にあまり必然性を感じないし、彼女が徐々に回復していく姿もなんだか冒頭の描写の細かさに比べると粗くて、穏やかなラストへ向かって淡々と進んでいくように感じられた。この描写のムラは意図的につくられたものである場合もあるが、今回の話ではそうだとは思えなかったし、仮に意図されたものであったとしても、上手く働いてないなと思ってしまう内容だった。

ノーデリカシーな存在(男2人)が登場したのは面白い。登場する人物皆それぞれが極端な感じがして、そこにさほど現実味は感じられないのだけど、この話に浸っている間はそれが分かりやすくもあり、愉快でもあった。救い、なのだなと思った。文字通りこの話では主人公の救いにもなっているし、内容的にも暗い夜道を照らす街灯のような存在でもある。

さて、海は刻々と変化すると冒頭でも言った。本にも書かれてあるが、海が変化するように主人公もころころと変化する。つまり、主人公も主人公の思っている「海」たりうるし、姉の美しさは主人公の意識次第で変化するようなもののである。そういった美しさは「本当の」美しさなんだろうか。話が少しそれるが、海の美しさは他にあるのでは。姉は実は海のようではないのでは。当たり前だが、この話は、海のような美しさを描いたものではない。海はあくまでモチーフの1つだ。そして、ものの見え方について描かれており、美が主題ではないのだ。『うつくしい人』とあるようにとりわけ人物、あるいはものの見え方、そういったものを考えて描かれている。もっと分かりやすくいえば、捉え方次第で変化するような幸福の類の話なのだと思う。それは、日常で私達が触れやすい話だと思うし、よく考えられるべきことなのだが、私には贅沢な話だなというようにも映った。主人公はお金に困っていないし、容姿もとりわけ悪いわけでもないし、境遇もそこまで不幸ではない。ほんの少しつまずいてしまっただけなのだ。でもそれが当人にとっては大問題で、だからこそいかに書くかという切り口の良さが問われる内容になっている。

有り余る時間をこの本を読むことで少し充実した気になれるなら十二分な内容だけど、私が今欲しているのはもっともっと人間の根深い問題に迫る話やもっと切実な何かなんじゃないかと読みながら思った。けど、そんな大層なものを小説に求めるべきではないなとも思うし、私も海は好きで似たようなことを考えたこともあったのでこれはこれで良し。

めちゃくちゃな読み方しかできない私の感想文は、多分この本を読む人の邪魔にしかならないのであまりおすすめしない、と最後にずるいことを言ってこの感想文を閉じたい。