ランチとおやつ
トマトとバジルのシンプルなパスタと型抜きクッキーを作った。
いつもならトマト缶で作るところをフレッシュトマトで作ったらまた味が違っていて美味しい。作り方はてきとうだが、すごく簡単なので一人暮らしの方には特にオススメしたい。
トマトとバジルのスパゲッティ
材料
パスタ…100g
にんにく…1かけ
トマト…大1個
バジル…適量
塩…少々
オリーブオイル…大1~3
作り方
前準備…パスタを茹でておく。茹でながらソースを作ると効率が良い。塩を加えて下味をつけておく。
①フライパンを熱し、オリーブオイルとにんにくを入れて弱火でじっくり香りを出す(カロリーが気になる人はオリーブオイルは少量でオススメしていますが、美味しさを追求する場合はたっぷり入れて下さい。そちらの方が断然美味しいです)。
②香りが出たら、きつね色になる前に角切りにしたトマトを投入。弱火~中火で煮る(大体茹で上がるまで煮込んでます)。
③塩で味付けする。麺に下味がついているのでそこまで塩辛くしなくて良い。
④茹でたパスタを器に盛り、トマトソースをかける。バジルを飾り付け、お好みでブラックペッパーやパルミジャーノ・レッジャーノを振りかける。
まあこんな感じ。トマト缶で作る時は一気に3,4人分できるので、残ったらタッパーなどに入れて保存すると良い。
昨日の晩ご飯
最近肉ばかりを食べていたため、この3日間は連続で魚をメインにすることに決めた。
アジの塩焼きとカリカリじゃこと茗荷のサラダ、鯛のカルパッチョ(和っぽい味付けで)、お味噌汁、ご飯。
レシピはこちら。
✿鯛のカルパッチョ柚子胡椒ドレッシング✿ by ruruchirin
アジの下拵えも参考に。
深い仲とは
深い関係とは何を以ってそう呼ぶんだろうか。
私は誰かと深い仲になったことがあるんだろうか。
なんでも話せる関係が深い関係だとするのなら、私は誰か一人に対してなんでも話せた試しがないため、深い関係を築けずに今日まで過ごしてきたことになる。
しかし、そんなに深い仲というのは良いものなんだろうか。まるで憧れない。
ツイッターでも言ったように、私は皆の心の片隅にいて、たまにどうしているのか気にしてもらえるだけで充分だ。というより、それが理想的だ。
皆とそういう関係であって、時々誰かから「最近どうしてる?」とか「ちょっと悩みが…」とか「こんな嬉しいことがあったよ」とかぽつりぽつりと呟きや関心のようなものがもらえるのが理想的だ。
関心はほどほどに欲しいが、あまり干渉されたくないのかもしれない。
魅力的な人がいれば仲良くしたいとは思う。でもそれは友達以上の関係を想定していないし、仮にそういう関係を求めたところで「友達以上ってなんだろ?」という話になる。
私の友達の定義はかなり甘く、一回遊んだら友達という感じになる。友達以上の関係の定義は今のところ「互いの面倒な部分を背負う」といったことが挙げられるがイマイチ釈然としないままである。
関係性には名前がついているが、それはあくまで便宜的なものだと思う。しかし、恋人というのは特殊で、その名前がついていると他の異性と遊ぶことが許されないケースが多い。私は本当に恋人を恋人とするのなら、その名前に頼ることなく深い関係を築いてみせよと思う節があるのだが、大抵の関係は名前があることによって「深い仲」になっているように見えているだけなのではないかと思っている。つまり名ばかりで内容が伴っていないことも多い。
ここまで書いておいてなんだが、あまり関係性における深さについて考えたくはない。考えたところで不毛な気がするし、それぞれの関係性は微妙に少しずつ違っているから名前をつけるのも馬鹿らしい、どうせつけるなら一つずつ異なる名前をつけるぐらいしても良い。
人と仲良くなりたくないわけではない。仲良くはなりたいが、それは楽しく話していられれば充分であって、その人のすべてを理解してみせる等とは思わないし、思っていたとしてもそれは自分の問題であって、相手にとってどうなのかや、相手にもそれを求めてほしいだとかは考えたくはない。
ただひたすらに受け入れていたいし、その人を浴びて感じていたいだけだ。
遅々として進まない読書にも種類がある
元々数冊を並行して読むことが苦手なため、あまり同時に読んでいくことはないが、今、二冊の本を集中的に読んでいる。
- 作者: ミランクンデラ,Milan Kundera,千野栄一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/11
- メディア: 文庫
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タイプが全く違う本であるが、これまでこんなに時間をかけたことがあるだろうかというぐらい時間を費やしてしまっている。
『音楽美学』は内容がとにかく濃い。思想史が入っており、形式や内容があり、最後に音楽の本質についての言及がなされている。音楽美学の入門書は他に当たったことがないため、こちらの本が適当なのかは分かりかねるが、私はこの本を始めに手にとって良かったと思う。音楽美学において有名な人物の主張を、背景を捉えつつ把握することができるからだ。理解するのに時間がかかるため、じわじわと進めている。
『存在の耐えられない軽さ』は、いわゆる恋愛小説である。読んだことのない感触の小説で、書き手が話の要所要所でツッコミを入れてくる。今となっては珍しくない形式だそうだが、私はお目にかかったことがなかったため、かなり抵抗がある。感情移入して物語を進めるような読み方ではないし、かといって客観的に分析しながら読むのも違うように思う。なかなか読み進められないのはそのような型に対する戸惑いが大きな原因だが、内容そのものに於いても面白さが分からず、それでも尚読み進めてみたいという気持ちが捨てきれないからでもある。『存在の耐えられない軽さ』という概念や、永劫回帰というものがモチーフとして扱われているが、そこに新鮮味を感じることができない。既視感がある。もし、それを「面白い」と捉えることができたならば、受ける印象はもう少し違っていたかもしれない。このまま読み進めても心地良さは得られないのか、それとも何か見えてくるものがあるのか、今は真っ暗なトンネルの中にいるようである。
今、2冊の本のどちらともがさくさく読み進められないタイプの本であるため、読書が苦しいことこの上ない。ただでさえ病気をして読書がしづらくなった頭である。焦る気持ちもあるが、周りのペースに感化されることなく、まったりと読み進めるつもりである。遅々として進まない読書にも種類があり、どちらかというと後者の本は自分にとってあまり重要でないのかもしれない。一旦読むのを諦めて他の本に手を伸ばそうか考えものである。
ふわふわした話
あの人から連絡が来るとすごく嬉しくなるんだ。
恋?
恋ってなに?
ねえ、知ってる?あの人は他の人に恋してるんだ。
うん、でも、だからなに?
だからって、他の人を見ている人に恋しても…
恋しても?
どうせ付き合えないんだから辛いだけじゃない?
付き合うってなに?
ん・・・なんだろうね、たぶん両想いの2人が寄り添うことだよ
うーん、わたしはお話しできるだけで嬉しいの
それ以上は?
それ以上があっても良いけど、今のままでも良いの
なんだそりゃ 笑
あ、でもお部屋にお邪魔してもいい?って聞いたら
いいって?
うん、いいって言ってた
大丈夫なの?
大丈夫なのってなにが大丈夫なの?
なにかあったら、それはどんな関係になるの?
え?どんな関係にもならないよ
そ、そうか・・・ キミって不思議だね
そうかな?でもね、良く言われる
音楽に求めていること2
読者の方から反応を頂いたので嬉々として拝読した。そして、肝心のタイトルについて自分が何も言及していないことに気づいたので再度考察したいと思う。
まずこの方は音楽(合唱)に対して次のようなことを求めているそうだ。
私が音楽に期待することは「精神衛生の向上」これに尽きる。単純に気分が良くなったり、ストレスの解消になれば十二分である。安くない活動費と時間を消費し、不確かで大きな苦痛を伴う得体のしれない「何か」を得るために合唱をするつもりはない。
合唱と団に対するスタンス - ただの学生の日記
なるほど、確かに音楽にはそのような側面がある。それは音楽そのものの作用としてもそうであるし、音楽するといった活動を通してもある。全くもって仰る通りである。
むしろ、それ以外のことを求める人がいるのか…と思いかけたところで、いるいる、たくさんいるわなと思い直した。心地良さを求めて音楽を鑑賞なり演奏なりする場合は、おそらく趣味的な意味合いが強いのだと思う。そうではなく、引用部分にもあるが『安くない活動費と時間を消費し、不確かで大きな苦痛を伴う得体のしれない「何か」を得るため』である場合もある。まだ他にも考えられるかもしれないが、おそらく音楽に対する姿勢としてはこの二つが大きいのではないだろうか。
はて、自分はどちらのスタンスなのだろう。音楽を聴くことに関しては情感を喚起されるから聴く。つまり前者である。音楽を学ぶことに関しては後者な気がする。しかし、「音楽に何かを求めているのか」というそもそもの問題が怪しい気がしてくる。つまり、自分は音楽に何も求めていない可能性がある。
音楽のある性質が私に嫌悪感を抱かせるため、その性質を探るために学んでいる節があると前回も書いたと思うが、音楽ってどういうものなんだろうという疑問に対して音楽を知ろうとする姿勢は宛ら音楽を愛しているかのようにも思える。
「愛」は相手に何かを要求するものではなく、受容と肯定に尽きる。肯定しきれていないので、厳密には愛ではないが、愛という概念を考えた時、相手に何かを要求するものでないという性質が見えて来て、ここが音楽に対する私の感情と似ているなと感じる。
そう、私は音楽に興味こそあるものの、何かしてもらおうという効果を期待したり、秩序の輝きを発掘・創造したりしたいと思っているわけではない。ただ側にあり、そこにある、いるから知る、ただそれだけな気がしている。