万華鏡の世界

自分と自分と時々君

「渡る、」

 ある時、程々に緊張していた女を迎えたのは、一人の若い青年であった。

 互いに適当な飲み物を注文した二人は、あまり居心地の良さそうでない椅子に腰を下ろした。女はその狭くて赤い部屋を見渡し、左手にある扉をちらちらと気にしながら青年を見据える。

 女には青年が眩しく見えた。実際、肌の白さが印象的な人であった。いや、外見的にも確かに眩しかったのだが、青年のもつ雰囲気というものは独特で、内面から滲み出てくる何かが初々しさを醸し出していた。そして、青年期特有の押し殺しているであろう何かと混ざり合い、それらが快活さとして表面に浮上している感じがして女には非常に眩しく見えたのだ。それは、昔女も持っていたはずのもので、それを目の当たりにして実感することで、漸く女はその喪失を知ることとなった。

 女は続けて観察をする。良く目を合わせる人だった。根が誠実なんだろうか。その青年は、目元や口元の造形や表情筋により構成される表情がなんとなくまったりとしていて、周囲の空気と溶け込んでいた。癒やしである。この感じは猫と一緒にいる感じと似ているなと女は感じる。ただ、時折笑い方が鼻にかけて笑うような、そんな風に見えてしまう瞬間があった。女は「きっとこの人はそういう部分で誤解をされてきたのかもしれないな」とやや思ったが、「いや、実際相手を見下すことも人だからあるのだろうな、しかし顔にそれが出てしまうのは辛いだろうな」などと考える。「ゆえにそれを愛嬌と見做すこともできるかもしれないが、そこまで相手のことを掴む人も稀であろう」と意味不明な自画自賛を挟みながら女の分析は一旦終了した。逆接的思考を反復する癖のある女は、そうやって観察することに夢中になりすぎて、青年の話を聞いていないこともあった。耳が若干遠いせいもある。

 そうして二人は適当に話をしていた。自分から語ることの少ない女は、客観的には青年を困らせてしまっていた。話がやや堅い。しかし、堅さがあるものの、頭の良い彼はそれを自在に広げてゆき、あたかも堅くないような話しぶりで堅い話をしていた。何を話していたのかというと、「人と何を話すのか」という陳腐な話である。それから、互いのことを少しずつ話すことができるようになった。女が記憶していたのは、青年の彼女がデザイン関係の勉強をしているという話であった。芸術に強い関心を示す女は、デザインと芸術の境界がどこにあるのかを普段から考えていたため、「デザインって何?芸術とどう違うの?」と質問をした。意図的に専門的な話になることを避けていた彼は、雑な答え方をしたのだろうか。あるいは、雰囲気に飲まれたか、理解が及ばなかったか、そこはなぜか女の記憶に残ることはなかった。

 互いに恋人がいる状況で二人で話をするというのは実は意外に少ないことで、その新鮮な関係に女は満足していたのと同時に、このような場合、恋人の話を積極的にしたがるのは適切なのか、という変な問題について考えていた。経験上は、男性は異性といる時、他の異性の話をするのを避けたがるという傾向を知っていたのだけど、これはその男が女に恋愛感情を多少抱いているのが前提にあるため、今回のケースには当てはまらない。友好的な意味でだが、好意を抱いている人が好む相手なのだから、聞きたくなって当然であると女は考えていた。もっと話を聞き出したかったが、青年はあまり恋人の話はしたがらなかった。訊かれれば答えるといったスタンスだろうか、なるほど、では私も同じように振る舞おうとその場では「デザインの勉強をしている」という話だけをした形となった。まさか今後もそのようなスタンスが貫かれるとは、さすがに二人は考えていなかっただろう。

 そうやって長時間に渡って話をした後、店を出た。歩く時、二人の間隔はかなり離れていて時々はぐれそうにもなった。女は店の表に書かれていたイタリア語の意味をうんうん思い出そうとしたが出てこないので、もやもやしていた。ペースもやや遅くのろのろと歩いている。「存在感がないね」と青年は遠慮のない言葉を言い、女はその言葉にやや動揺したが、すぐに何事もなかったかのように歩いた。

 

 それから何度か会った時か、もしかしたら二回目に会った時だったかもしれない。予想外に遅くなってしまったので、二人は夕食を食べることにした。青年が飲みたいと言ったので、女は了承し、てきとうな店に入った。そこは半個室の黒い布で仕切られた空間であった。黒い空間というものは、それだけで何かに飲まれたような感覚になってしまう。二人は飲む前から雰囲気に酔っていたのかもしれない。

 女はまた話題に少し困った。でも、お酒というのは不思議なものでなし崩し的に話は進んでいく。便利である。氷の入ったグラスを揺らしながら、女は始め青年が失恋したばかりであるのを少し気にかけていた。いつものように明るく振る舞う青年を見てその心境を窺う。しかし、お酒が回ってくるとその配慮も薄らいでいく。遠慮もなくその場を楽しい、と女は思う。女は快楽主義であった。

 互いに高揚感が増していった。猫のように癒やしてくる青年である、女の警戒心はとうに失せていた。いつもなら酔わない女がまるで自宅で飲んでいる時のように安心しきっている。状況が事の次第を既に予期しているようだった。

「気持ち良くなってきちゃった」

 唐突に女は言った。すると、青年はそっと手を差し出した。何かしようと手を伸ばしてきたのではなく、握手をするかのように伸ばしてきたのだ。何かに縋りたくなっていた女は、握手をした。女に衝撃が走った。全身がビクビクする。青年は驚いて、手を一旦離した。そして再びゆっくりと手を握る。手を握るだけに留まらなくなった青年は掌を指で擦る。さらに女は打ち震えた。目を開いているのが辛いのか女は目を細める。上気した女の元へ青年はそっと近づいた。

 ほんの数秒のことだった。女は唇を奪われた。頭が真っ白になった。女は青年を拒むどころか積極的に受け容れる。あまりの震え方に青年は驚く。悦びだけがただそこにはあって、それ以外のものが吹き飛んだ瞬間だった。ねっとりとしたキスをビクビクした身体で女は受け止める。両者の舌が、唾液が絡み合い、意識が、そして理性が遠のいていく。続けるほどに胸がキュッと締め付けられるような感覚を女は覚える。青年の存在が女の心に広く亘っていく。心が青年で満たされていくのを感じとった女は再び全身を震わせた。

 しばらくすると、二人はいつの間にか店を出ていた。「何もなかったのでは」という気さえ起こるほど青年は女から見て自然だった。しかし、どこへ向かって歩いているかいまひとつ掴めないまま歩いていた。人混みに流されることなく、はぐれることなく歩いていることに少し驚きながら女は青年と歩く。まったりしていた。ごく自然な流れで青年は女を誘った。女は躊躇することなく了承する。魔法はかかったまま、解けることがなかった。 

 そうして二人は夜の街に消えていった。

 

 二人はカフェにいた。女はアイスコーヒーを不味そうに飲んでいた。このアイスコーヒーは、紙パックのコーヒーを氷の入ったグラスに注いだだけであろう。ホットコーヒーだったらまだマシだったかもしれない、と一口目で後悔した。水滴がグラスにたくさんついており、グラスを持つとテーブルにポタポタと垂れる。一方青年はあまり表情に出すことなく紅茶を飲んでいた。味の評価を言葉にしないということは、取り立てて美味くはないのだろうな、と女は推察する。

思い返せば狡猾な人ね、とやや思う。思いながら相手を見つめていた。自分の性質を棚に上げて相手を貶めていることに女は気づかない。見つめすぎたのか、瞳孔が揺らいだのを見られたのか、青年に気づかれる。

「何?」

「ん、なんでもない」

「本当に?」

「ちょっと昔のことを思い返していただけ」

「……ふうん」

 女は何かを思うと、それを毎回相手に気が付かせるのだが、肝心の何を思ったのかを伝えない。いやさすがに突然「狡猾だよね」とは言えないだろう、と女は思ったのだが、青年だったら口にしているのだろうなということに気づく。

 静かに青年が語るのを女は時折相槌を入れながら聞いていた。生活の話になると、途端に色濃く「らしさ」を感じてしまう。青年の人生は目まぐるしいものがあった。飽き性のせいなのか、運命なのかは知らないけれど、変化に富んだ生活である。出会ったばかりの頃、青年の活動歴を聞いた女は、世の中を巧みに渡ってきた印象を受けたものだったが、今では少し違うように感じていた。そうならざるを得なかったからそうしてきたのではないかと思ったのだ。一方、女の生活は代わり映えのしない穏やかな生活を送っていた。「自分」とはすなわち習慣である。生活が人を形成している。そう言った意味では、外形が全く異なる二人だった。そんな二人が今同じ空間にいるということに気づいた女は妙なことだわ、と笑みをこぼす。

「何?」

「なんでもない」

「なんでもないのに笑うの」

「うーん、思い出し笑いってやつ」

「何を思い出してたの」

「なんだろう」

「……」

 二人はカフェから出た。時雨が渡ったらしい。雲間から太陽の光が差し込むと、濡れたアスファルトがキラキラと輝いていた。歩きながら女は青年の手をちらと見る。青年はそれに気づくが、何もしない。動じない青年を前に軽くショックを受けつつ、躊躇いがちに相手の指に指を絡めた。一気に熱くなる。青年は女の体温の上昇を感じ取る。目を見て、伝わったことが分かると女は更に熱くなった。手を繋ぐと、さすがにはぐれない。ぴったりとくっついて、揃わなかった足並みが徐々に合っていく。

 数メートル先の交差点を渡ると目的地だった。ゆくあてのない小鳥がくるくると旋回しているのを二人は見上げた。

「忘れ物した」

 女はゴソゴソとバッグの中を探してみたが、探し物は見つからなかった。

「戻る?」

「……。大したものじゃないから戻らなくて良い」

「そっか」

 再び手を繋いだ二人は、タイミング良く信号が青になった交差点を渡った。

音痴の話

フォロワーさんに音楽や音に関して何か疑問に思っていることはないか尋ねたところ、「音感のある人ない人、音痴な人とそうでない人ってのは、どういう風に違っていると考えられているんでしょう?」という問いをいただいたのでお返事を書きたいと思います。音痴な人とそうでない人の話をすると自然と音感のあるなしに関わってくるので、今回は「音痴」について詳しく話をしたいと思います。

 

私達が音痴な人をイメージする時、具体的にどのような人のことを想像するだろうか。おそらくカラオケで音程が取れていない人をイメージしてもらえれば分かりやすいかと思う。そのイメージで統一したい。では具体的に「音程が取れていない」とはどういうことなのか見ていきたい。

音程が外れてしまう原因は二つある。発声の問題と聴音の問題である。発声が原因で音程が外れる人は、声帯などの発声を司る器官の筋肉運動の訓練不足によって音符通りのピッチやリズムに合わせた声の強弱の制御がうまくできていない。つまり、訓練さえすれば発声による音痴は改善することができる。

ではもう一つの原因の場合はどうであろうか。人間は声を出す時、耳で声の強弱や高低は正しいか、伴奏に合っているか、意思通りに音声器官が働いているかなどを常にチェックしている。このフィードバックが何らかの原因で正しく動かないと制御困難に陥り、もはや正しい音程では歌えなくなってしまう。器質的な問題の場合は音痴を解決することができないが、聴音音痴の多くは歌うときに声を出すことに一生懸命になるあまり、自分の声の高さがどのぐらいか、リズム・伴奏に合っているかなどに注意が散漫になってしまっていることが原因であろう。自由気ままに歌っているだけでは、いつまでたっても歌の上達は期待できない。

つまり音痴な人は、訓練不足と注意不足によってそうなっていると考えられる。音感というものは、西洋音楽を聴いた時に、美しさを感じられれば備わっているとされているので、通常音感が全くないということは考えにくい。

 

以下まとめ。

「音感のある人とない人の違い」…西洋音楽を美しいと感じられるか否かという点、もっと根本的なところでいうと、協和音と不協和音の認知ができるか否かという点。

 

「音痴な人とそうでない人の違い」…音痴には発声音痴と聴音音痴がある。音痴ではない人の場合、発声の訓練ができており、聴音もきちんとできているが、音痴の人の場合はどちらかに問題があるか、あるいは両方に問題があるとされている。器質的な原因の場合は改善の見込みがあまりないが、多くは改善できると考えられる。

 

質問にうまく答えきれてない気がしますが、私の持っている知識はこんな感じです。

 

参考文献

『音のなんでも小事典』日本音響学会、2005年、講談社

見知らぬ彼女

彼を通して見える彼女は非常に可愛気があって透き通っていた。

まっすぐに彼を見つめて、信じて疑わない。

しかし、彼女には見せない姿が彼にはあった。

病気だ、と私は思った。なんとか治したかった。

まだ見ぬ、そしてこれからも絶対に会えぬ彼女のためにも。

ところが、病は私を発端としていた。

どうしようもなかった。せめて私が彼女だったら……。

ただ苦しかった。彼の前で何度涙を流しただろう。

どうして自分だけ黒い感情を抱かなければならないのだろう。

何故こんな目に遭うのか分からない。彼を憎みさえした。

私はいつも汚れていた。クタクタに疲弊していた。

そこから解放されてやっと自分になれた。

そして時が経ち、そんなことを考える自分さえいなくなり、

私は本当にくすんでしまった。

嫉妬の末

彼女は私の日常の端っこにいた。そっと彼を見守っている。

私は彼女が彼に好意を寄せていたことを知っている。彼女も私のことを知っていた。

彼女が彼と話をする時、ほんの僅かに見える切なさを私はチクリと勝手に感じる。

昔はチクリどころではなかった。嫌悪感もあったが、今ではもう可愛いものとなった。

彼女は未だに痛みを感じているのだろうか。

見えない溝に声を発し続けているのだろうか。それとも。

私は彼女の、その薄紅色の半透明な羽根を踏み躙っている感覚を覚える。

どのように考えても彼女にとって私は都合の悪い人物である。

しかし、彼女は私のことを好きだと言ってくれる。

そのことがさらに私を悩ませ、苦しめるようであった。

明らかに私は彼女を間接的に虐めていることになるのだけれど、彼女はいつものように笑うだけであった。

今日もまた日常の端っこにいる彼女を感じている。

チクリと刺す半透明の痛みが、喜びと切なさと醜さを私に呼び起こす。

音楽に対して何も思うことがないという話

「何も思うことがない」ということがどういうことなのかについて話したい。

私は音楽が嫌いで、なぜ嫌いかというと頭の中で鳴り響いて離れないからである(厳密には、「頭の中で鳴り響く音楽」が嫌いで、音楽の全てを嫌っているわけではない。頭に比較的残りにくい音楽に対しては好意的である)。もうこの時点で「思うことがあるじゃないか」という意見が出るだろうけれども、あえて無視して話を進めたいと思う。嫌いならなぜ音楽について勉強するのか、という問いも簡単に見出だせるが、それは考えざるを得ない状況に音楽が追い込んでくるからである。好きや嫌いといった感情で接しているわけではなく、考えなければならない状況になぜか追い込まれるといった感じだ。私は、幼少期からピアノを習わされ、なんとなくではあるが常に音楽とともに歩んできた。つまり、今更嫌だと振り払おうとしても、腐れ縁のごとくついてくるのが私にとっての音楽というものである。そのため、なぜそのように頭の中で鳴り響くのか、排除するためにそのメカニズムが知りたいと思うようになった。もっと柔らかい言葉でいえば、人の情動を喚起する音楽のその性質についての詳細が知りたい。そのように私の知りたいことというのは、おそらくあらゆる分野から音楽を捉えなければ自分が納得し得ないだろうと考えていて、さらに、捉えるだけでは不十分で構築できなければならないと現段階では考えている。

ここまでで、おそらく私が音楽を賞賛したいわけでも、音楽を通して何かを成し遂げようとしているわけでもないことが分かるはずである。前述にあるように、知りたいことはあるが、私が音楽をする時、考える時、それは必ずしも目的を伴うわけではない。私が音楽について何かを書く時、それは自分の感情を抜いたものであることが多い。なぜなら音楽に対して好きだという感情が希薄だからである。そういう意味では「何も思うことがない」のに、書いているという図になる。実に滑稽である。諸々の音楽に対する評価が淡白であるのも、良いか悪いかは言えても大半のものが好きではなく、関心が低いからである。そんな熱情を欠いた状態で一体何を熱く語れば良いのだろう、何もない。しかし、音楽について多角的な視点で考えるということ自体は好む。なぜなら、考えることが好きだからだ。一番身近で一番知っているであろう音楽はそういった意味で手頃な存在である。この辺りで何か矛盾を孕んでいそうな感覚はあって、人から首を傾げられてもおかしくはないだろう。それに全く思うことがなければ、文章に起こすことは不可能かもしれない。何を書くかに関して、私自身は面白いと感じたことを書くようにしているつもりである。読み手に面白いと思われなければ、それは伝え方がまずいということになるし、(もしくは感覚の相違によりその人にとっては面白くないことである)面白いと思ってもらえれば嬉しく思う。

音楽の話のスタートはいつも「何も思うことがない」。何もないところから手探りで書いている状態である。

ミュージックセリエル、そして偶然性の音楽

 「4分33秒」。音楽界に波乱を巻き起こした曲である。一般的にピアニストが演奏することが多い曲で、(絶対にピアノだと決まっているわけではない)3楽章に渡りタセット(休止)と楽譜に記述されている。つまり楽音は一切登場しない。沈黙の音楽として私は高校生の頃から認知していた。知った当初はあまりに衝撃的で、音楽とは認めたくないあまりに非難ばかりをしていたが、今はやや考えが改まった。その話については後ほど記述する。

 どうしてこのような極端な音楽が登場したのか、その流れは同時期に流行したミュージックセリエルと深い関係がある。

 戦前はロマン派の流れから、ドイツに負けないフランスらしい音楽をというわけでドビュッシーに代表される色彩豊かな印象派音楽がフランスで流行、ドイツではロマン派の流れを引き継いだシュトラウスを代表する後期ロマン主義が、確立された形式、和声、巧みな管弦楽法を重んじたドイツ音楽として最後の輝きを放っていた。そして懐古的な原始主義といわれるストラヴィンスキーの音楽もこの時期であり、民族音楽を取り入れたバルトークの音楽も同時期、さらに無調音楽として有名なシェーンベルクウェーベルンなどの音楽家もほぼこの時期である。このように20世紀付近の音楽というのは一概にこうだとは述べられないほど様々な方向の音楽が登場し、混沌としていた。

 今回この中で注視したいのは、シェーンベルクの12音技法である。調性に代わる音楽の方法論として無調の12音技法を確立させた。これは12の音を1つずつ使って並べた音列を半音ずつ変えていき、12個の基本音列をつくる。そしてその反行形を作り、さらにそれを基に逆行を作り、反行形の逆行形から12個の音列を得てトータル48個の音列を作り、曲を作るのが12音技法である。理論立てられたこの方法で音楽としての統一性を得ている。20世紀音楽は、シェーンベルクによって開拓されたといっても過言ではないだろう。

 そしてこの無調の流れはシェーンベルクの弟子のウェーベルンに引き継がれる。ウェーベルンの後期作品では部分的に音価をセリー的に扱ったものもある。シェーンベルクの12音技法は音高に関しては斬新な方法で調性に打ち克つ論としてはかなり有効ではあったが、音価や強度等の他のパラメーターは従来通りだった。

 その12音技法の方法論の矛盾点、曖昧な部分を解決したのがオリヴィエ・メシアンである。メシアンはすべてのパラメーター、音高、音価、強度を対象にそれらを数列化し、論理構築を図った。これをフランス語ではセリー・アンテグラルといい、そのほかの呼び方として全面的セリー音楽、総音列主義などがある。最初の数列と数式を決めたあとは計算によって自動的に音楽作品ができあがる。これが世間に知られたきっかけが「音価と強度のモード」である。  

 これは、メシアンが当時の若い前衛音楽家たちを集めた現代音楽講習会の講師として滞在中のダルムシュタットで作曲したピアノ曲である。これに感銘を受けたメシアンの生徒であったピエール・ブーレーズがこのトータルセリーの第一後継者となった。

 ブーレーズによるトータルセリーの音楽というのは、メシアンとは異なる。初期こそトータルセリーの要素を含んだ曲や、ウェーベルンの様式を意識したものを作っていたが、「ピアノ・ソナタ第三番」以降の楽曲では新しい様相を見せている。2台のピアノのための「ストリクチュール第1巻」そして「ストリクチュール第2巻」。これらでは同時期に活躍していた作曲家ジョン・ケージの偶然性の音楽の要素を取り入れている。「管理された偶然性」と現代音楽史では呼ばれていた。

 完全に計算によって構築するメシアンのトータルセリー音楽とは異なり、楽章の順序を演奏者に委ねている。そして各楽章もいくつかの断片によって構成されていてその演奏の順序も自由である。しかしその音楽的な素材となっているものは、ジョン・ケージの作品とは比較にならないほど厳格に規定されている。ここがトータルセリー音楽としての「らしさ」なのだろうか。ウェーベルンの点描的なセリー主義の音楽を強く意識している様子がこの「管理された偶然性」の音楽にも現れているのがうかがえる。

 私はメシアンブーレーズのトータルセリーの音楽に関しては、その新しい方法論を確立させようとした音楽史的な流れや、意図については評価したいと考えているが、実際曲を聴いた際に全く理解ができず、色彩性があまりに乏しく感情の揺動を起こし得ない点から腑に落ちない面持ちになる。あまりに流れが読めない音列の集合体を音楽として知覚するには至らず、難解である。このように感じている人は私だけではないはずだ。そしてその難解さ故に演奏もかなりのテクニックが必要と見られる。おそらくそのことが理由で衰退していったのだろう。

 ところでメシアンについて、彼は理論立てた音楽を構築したため非常に無機質で、冷淡なイメージをもたれるかもしれないが(個人的にそう感じているだけかもしれないが)、熱心なカトリック信者であり、さらに自然をこよなく愛する一面もあった。それが現れているのが『鳥のカタログ』である。これは各曲が鳥の名前になっており、採譜した鳥の鳴き声のカタログの様相を呈している。音楽史的にはあまりこの部分が触れられない印象があるが、実はメシアン最大規模とわれるピアノ曲集がこれなのだ。そのことには僅かながら目を向けておきたい。

 先ほどの話ですでにあがったがメシアンブーレーズのトータルセリーの流れとは異なるのがジョン・ケージの音楽である。彼は大学中退後ヨーロッパに渡り、そこで出会った芸術に感銘を受けて作曲を始めた。そしてアメリカに戻りロサンゼルスに亡命中だったシェーンベルクに音楽を学んだ。初期はシェーンベルクの音楽のオマージュのようなものが多い。

 1940年頃には、グランドピアノの弦にゴムやボルトなどを挟んで音色を変化させたプリペアド・ピアノを考案する。徐々に彼独自の音楽性が現れてくる。

 そして、彼はこの時期には12音技法をマスターしていたようだ。それをさらに確率的に変調させてその可能性を開拓していた。そして1945年に鈴木大拙に出会い、禅を2年学ぶ。東洋思想に触れた契機がここにある。その後に中国の『易』を学ぶことで偶然性の音楽へ結びつくこととなる。

 この時期に彼が無響室を体験していることも興味深い。無響室で完全な無音を体験したのかと思えばそうではなく、彼はそのときに体内からの音(心臓の鼓動音)を聴き、沈黙を作ろうとしても不可能であることを知ったと言われている。

 東洋思想をもとにつくられたのが「易の音楽」であり、これは貨幣を投げて音を決めた。これが不確定性音楽のできる契機となった。不確定性の音楽は偶然性の音楽の一種であり、これは演奏や鑑賞の過程に偶然性が関与するため、演奏の度に異なるものになる。「易の音楽」の場合は作曲の際に偶然性が関与するが、演奏の際にそれがないため厳密には不確定性の音楽とは呼ばれず、「チャンス・オペレーション」といわれる。

 そういった流れを経て1952年に偶然性の音楽、ケージの代表作の1つである「4分33秒」が発表された。

 ちなみに、1950年には図形楽譜(図形譜)ができる契機となる出会いがあった。ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会場でケージとモートン・フェルドマンが偶然出会ったのだ。それまでセリー的な技法や伝統的な和声法を用いた曲を作っていたフェルドマンだが、徐々にその体系とは異なる曲を作り始める。そしてグリッドを用いたり、一定の時間において演奏する音の数を記したりするなどをして図形楽譜を生み出し、それを使用して様々な試みを行ったといわれている。

 フェルドマンはこれにより偶然性の音楽や不確定性の音楽に非常に影響を与えた人となるが、フェルドマン自身は、演奏家に好き勝手に楽譜を解釈され意図しない方向へ曲が変化するのを許容できず、70年代にはこの記譜法を放棄する。

 私も、図形楽譜のような大層なものは書いたことがないが、アクースマティック音楽のような現代的な曲を制作する際は必ず楽譜のようなものを作っていた。トラックごとのイメージをそれぞれ丸や点、線に置き換えて並べるのだ。クレッシェンドやフェルマータ、英語説明や数字など様々な表記法が混在しているもので、自分はこれを見ればおおよそどのような曲にしたかったのか見当がつく。そして完成した音楽をアクースモニウムで万一他の誰かに演奏してもらうことになった場合は精緻し、より体系化させた楽譜のようなものを渡すかもしれない。ところが、演奏された音楽が自分の全く意図しないひどいものになったとしたらどうするだろうか。やっぱり憤慨するかもしれない。そう考えるとフェルドマンの心境は少なからず理解ができる。彼の意図した図形楽譜の位置づけというものは、あくまで従来の五線譜の表記法では表記できなかったジャンルの音楽を表記するためにつくったものであって、決して演奏者による自由な解釈の誘引や、解釈の幅を拡張するためのものとは考えていなかったのだろう。それでは楽譜の言語性の価値を踏み躙ることになる。

 「4分33秒」、偶然性の音楽の話に戻る。私が高校時代に書いた小論文では以下のように意見をしている。

 

[ アメリカの作曲者ジョン・ケージは、音を一切出さない「4分33秒」という曲を作った。彼はこの曲をオーケストラで演奏した。ピアノのふたの開閉をする以外に演奏者の動作はなかった。観客は音のない「音楽」を4分33秒の間聴いた。これは音楽作品の在り方を私も含め、多くの人に改めて考えさせられるきっかけになった。この曲は、沈黙の音楽として二十世紀の音楽界に波紋を巻き起こした。

 このことについて賛否両論あるが、私は、音楽として考えた場合にはこの曲を音楽とは言えないのではないかと考える。音は音楽の根本的な要素であって、静寂のみを素材とすることは音楽の否定をすることになりかねない。ここでいう静寂とは、無響室のような全く音のない環境をいっているのではない。かすかな音響が存在する音空間を指す。静寂は、人に安らぎを与え、美しさを感じさせる。音楽が存在するためには静寂は不可欠なものである。そして音楽は、まず静寂を美しいと認めるところから始まるものだ。作曲をする時、気に入らない旋律があると消し去ってしまう。これは、その旋律よりも静寂に戻した方が美しいと認めたことになるのだ。音楽作品もまた、静寂が始めにあり、演奏があって全て終わった後に再び静寂が訪れることで成り立っている。音楽作品の価値もまた静寂に委ねられており、音は最終的には静寂に打ち克つことができないのだ。このような意味で静寂は音楽の基礎といえる。そして音楽は静寂の美に対立し、それへの挑戦によって生まれたもので、音楽を創造することは静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を追及することである。

 つまり、音楽作品には静寂を基礎とする音が必要なのだ。ジョン・ケージの「音楽」は自然を模倣し、非常に精神性が高いものであるという点で芸術だとは言えるが、静寂に克つために音を素材として使うことをしていないため、音楽だとは言い難い。ただ、静寂の美を人に再び気づかせるきっかけをもたらした点で彼の作品は認められるべきである。](『音楽作品とは』よりl12-32抜粋)

 

 根本的な総意からまず覆すが、さすがに音楽作品として認められているからには音楽ではないと意見するのは今や厳しい。「4分33秒」は紛れもなく音楽作品である。だがしかし、「4分33秒」が登場するまでの「音楽作品」というのは、上にもあるように静寂を基盤として楽音が存在することで成り立つものであったことは確かである。ところが、ケージはその静寂に存在する音も素材として捉えたのであり、ここがこの音楽作品としての要である。従来の「音楽作品」の定義からすれば確かに「音楽作品とは言えない」とも言えるのだが、「4分33秒」は従来とは全く異なる新しい音楽の枠組みを構築したのだ。

 なぜ当時の私が頑なにこの音楽を拒んだか少し釈明をすると、楽典や和声法を学んでいる真っ最中でまさに従来の音楽の規則に呪縛され、苦しめられていたからである。古典的な規範に囚われ雁字搦めになっていた私は、ケージのあまりの天才っぷりに驚嘆し、妬んでいたのだ。

 音高や音価、強度を選定する作曲家のある種の楽しみ、そして苦しみを丸々取り去ってしまった「4分33秒」。実際に鑑賞をすると、やはり普段ポピュラー音楽や印象派以前のクラシックに慣れ親しんでいる私は拒絶をしてしまうが、サウンドスケープという概念で捉えるともう少し違った感覚で捉えることができる。ただ「4分33秒」ができた時代にはその概念はないし、サウンドスケープは芸術音楽とはまた少し違った方向性(芸術というよりデザインに近い概念)であるためあまりここでは語らないこととする。芸術音楽として鑑賞した場合には、音楽の新しい枠組みを構築してしまったケージの偉大さにやはり嫉妬心を覚える。

 和声法に始まった曲作りの際の規範構築は、大きく見るとトータルセリーまで上りつめたヨーロッパの流れと、全てを開放し偶然に任せたアメリカの偶然性音楽という流れになった。当時は思いもしなかった人が多いが、音楽史として流れを辿ってきた私にとっては、あまり意外性のない当然のような結果だったと考える。

 しかし、それ以降の様々な音楽や現在溢れている音楽を耳にしても、今後どのような展開があるのか予測できないでいる。どちらかというと音楽の発展はもう止まってしまったのではないか、という意見に賛同している状態である。

 

参考文献

ヴァルター・ギーゼラー『20世紀の作曲 現代音楽の理論的展望』 音楽之友社

海老澤敏、上参郷祐康、西岡信雄、山口修『新編 音楽中辞典』 音楽之友社、2003年

上尾信也『音楽のヨーロッパ史』講談社現代新書2006年

大町陽一郎クラシック音楽のすすめ』講談社現代新書1992年

岡田暁生西洋音楽史中公新書2008年

岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書2009年

カールハインツ・シュトックハウゼンシュトックハウゼン音楽論集』 現代思潮新社

松平頼則『新訂・近代和声学 近代及び現代の技法』 音楽之友社

宮下誠『20世紀音楽 クラシックの運命』光文社新書2006年

古代文明における女神像、その象徴性

 「古代文明」、「女神像」を指し示すものは多数存在する。そこで後の古代ローマの美術にも大きく影響し、西洋美術史の根幹ともいえる古代ギリシアにおける女神像を中心に話を展開していきたい。

 先史時代よりすでにヴィーナスと呼ばれるような女性の偶像は存在していたことが確認されており、各々の女神像における解釈をあらゆる分野の研究者が今日まで行ってきた。確かに古代の彫刻や絵画は我々が確認できるほどいくらかは残存するが、具体的にそれが当時の人々にとって何を意味するものなのか、示唆するものが定かではなく解明に至っていない。女神の象徴性という問題は、その起源の問題抜きに語れるものではないだろう。

 

 先史時代で有名なヴィーナス像といえば「ヴィレンドルフのヴィーナス」がある。これは紀元前3万年頃のもので、非写実的なぽってりとしたふくよかな体型が特徴的な女性の偶像である。「ヴィーナス」と名づけられているが、それが実際のところ女神の像だったのかは明確ではない。神秘的な大母神の聖像である説や、護符や子供の玩具である説など様々な憶測が学会で飛び交っている。多産、豊穣との関連性から社会的に高い地位を示していたものと考える研究者もいる。明らかなことは、先ほども述べたように写実的でなく非常に豊かな体型の像であるということのみである。

 

 では、確認できる事実上の「女神像」とは一体何であろうか。先行研究の数や残されている文献を考慮すると、先史時代のヴィーナス像に関して考察することよりも、古代ギリシア神話における女神達に焦点を当て、起源とともにその象徴性を類推する方が賢明であると考えられる。

 

 このテーマを考察するに当たって多くの論文に取り上げられていたのがJ・J・バッハオーフェン著の『母権論』(1861)であった。豊かさや平和といった抽象的な意味合いで捉えるのではなく、これらに関する研究というものは社会と女神像を結びつける傾向が強かった。庄子大亮の『古代ギリシアにおける女神の象徴性 : アテナ,アルテミス,デメテルを例に』で『母権論』はこのように要約されていた。簡潔で比較的平易だったため引用する。

『バハオーフェンはもともと法学者だが、古代法の研究から古代社会に関心を抱き、おもにギリシア神話における女神や女性の活躍、重要性に着目して、女性が権力を有した「母権制」が太古に存在したと主張した。』(「古代ギリシアにおける女神の象徴性 : アテナ,アルテミス,デメテルを例に」『西洋古代史研究』第11号2011年63頁引用)

 ここで鍵となる言葉である「母権制」に関して、多義的に都合良く使用されている言葉の曖昧さをできる限り排除し、混同される恐れのある「母系制」と区別を図るため定義する。

 母権制とは、女性が政治的な支配権力を有しており、社会的地位が高く、家族制度においての権利の優位性があるという意味で使用する。また、母系制は権力の有無ではなく、女性の出自を辿って家族などの社会的集団をつくり、財産を相続、継承する意味である。逆に男性が権力を有する場合は父権制社会、男性の出自を辿って社会集団を形成する場合は父系制社会と呼ぶ。

 バハオーフェンの『母権論』のような主張は19世紀に流行した風潮であり、様々な分野の研究に影響を及ぼした。実際、母権制社会から父権制社会へと人類社会が進化したというようなことを唱える人も現れた。フリードリヒ・エンゲルスやジェーン・H・ハリソンがその例である。この19世紀というのは、モラルやジェンダー観が確立した時期でもあり、進化論に注目が集中していた時期でもあることは留意しておくべき点であろう。

 現在となってはそのような見解をする者は少ない。大きな流れとしては先史時代においての母権制社会の存在はなかったとする見方が強いのだ。しかしながら、なかったものをなかったと「実証」することは難しいし、ひょっとすると「母権制」という概念の認知の差異によって議論そのものの輪郭がぼやけ、食い違っていることもあるのではなかろうか。

 バハオーフェンの影響を受け継ぎ、考古学的な解釈を盛り込んだ近年、現在のフェミニストの母権論は以下のようなものである。

 

 新石器文化に見られる偶像がほとんど女性であることとその生命を生みだす姿から、先史時代には大地や自然を女神として崇め、女性を敬い、調和を重んじる母権制社会が存在したと類推できる。しかし、その後父権制社会が確立し、先住民の母権制社会は崩壊した。ギリシア人が崇めた女神達は、その父権制社会が確立する以前の母権の象徴であり、太古の大母神の名残なのである。

 

 この見解に関していくらかの問題点が見出せるが、例えば冒頭で述べたように女性偶像が当時の人々にとってどのような意味をもたらすものであったか明確な証拠が残されていない。「生命を生み出す姿から」という部分でさえ憶測にすぎないのだ。やはり、女性偶像や神話だけでは母権制社会の存在を立証するには材料が不十分であり、暴論である印象が拭いきれない。

 また、もう1つの方向性としてギリシア神話における女神達がもともとは同一神(大母神)であったと主張する学者(アメリカの宗教史家マグリット・リゴリオーゾ)もいる。そして、単独で生命を生み出す大母神は母権社会の象徴であったと見なすのである。リゴリオーゾはギリシア神話における女神達は太古の大母神の名残であると解釈している。ガイアとデメテルのようにギリシア神話における神々が同一視されることがあったからだという。本論は、リゴリオーゾの論法を批判するのが目的ではなく、あくまで古代ギリシアの女神における解釈をいろいろに取り上げることであるため、フェミニストの主張も、実証主義の解釈の真偽も問わないこととする。

 しかしながら、なぜギリシア神話における神々が同一視されることがあったのかという問題は女神像を探る点で無視できない。オリュンポス12神における女神を中心に個別にみていきたい。

 

アテナ(ミネルヴァ)

 アテナは、アポロン(アポロ)と同じく恩恵と文明をもたらす神で、ゼウス(ユピテル)の娘である。また、学芸諸団体の守護神で様々な手仕事、とりわけ女性特有の領域である出産や糸紡ぎ、機織の守護神であったが、一方で古くは戦争の女神であった。古典古代の美術ではメドゥーサの首はアテナの山羊皮のマントの上に置かれているが、後代になると首は女神の楯を飾っている。そして、男を必要としない処女母神である。

 古代ギリシアよりローマ、ルネサンス、およびそれ以降で変わらなかったのは、恩恵の女神としての姿である。この場合は、梟が傍らにおり、しばしば学問の象徴である書物の上にとまっている。

 また、アテナはアテナイの守護神である。『転身物語』6:70-82によると、アテナとポセイドンはアテナイを都とするアッティカ地方の領有をめぐって争っていたが、アテナが平和と豊饒の象徴であるオリーブの木に花を咲かせたことで勝者となったというエピソードがある。

 そういうわけで、アテナイ市民の擬似的母ではあったが、ここでいう「市民」とは男性のみのことであったため、父権社会の守護神でもあったとも言える。さらには、アイスキュロスの悲劇『エウメニデス』(前458年上演)で『万事において、私は男性に味方します。』という彼女の語りがあるため一層その印象は強い。

 

アルテミス(ディアナ)

 アルテミスはゼウスとレトの娘で、アポロンの双子の妹である。アテナと同じく処女母神である。そして狩人であり、純潔の擬人像であった。ギリシア時代より前では、その原型は地母神であったとされている。そしてアルテミスは月の女神セレネと同一視されることもあった。

 プラトン『テアイテトス』149Bによれば出産の女神でもあった。処女神であるがゆえに、その領域を司ることができるとされたのだ。そのため、お産の女神エイレイテュイアと同一視されたり、スパルタではオルテイアと呼ばれたりした。

 アイスキュロスアガメムノン』141-143によると、自然界の生命を愛し司る存在であったとされる。人間の態度によって激しい怒りを見せることから、自然に対する人々の畏怖の念の象徴でもあったようだ。

 アルテミスの兄とされるアポロンは音楽や医術、律法、裁判などの文化、公共の領域を司る神であり、アルテミスとは対照的であった。そのことからも、より一層自然を司る神である印象が強く、ポリスの周縁ないし外の領域に位置する神であったと考える。

 

デメテル(ケレス)

 デメテルは古典ギリシア語で「母なる大地」を意味するように、ギリシア神話の農耕の女神である。とりわけ穀物と関係が深く、繁殖力の源である地母神として崇拝された。古典古代彫刻では両手にそれぞれ蛇を掴んでいることが多い。大地の豊饒を示す擬人像としては、穀物の穂の冠をかぶり、穀物の束あるいは果物や野菜のつまった豊饒の角を手に持つ姿で表現される。

 

ヘラ(ユノ)

 オリュンポスの最高位の女神でゼウスの姉妹で妻である。結婚や出産を司る女神として崇拝された。通常の持ち物は孔雀で、古代にはヘラの聖鳥とされた。また、古代においてはさらに柘榴と郭公のとまった笏という持ち物を有していた。柘榴は、種が多いところから豊饒を意味している。

 主には結婚の女神として捉えられることが多いようだ。嫉妬深い一面もあり、その点からも女性性を見てとることも可能だろう。

 

アプロディテ(ウェヌス

 アプロディテは、愛と豊饒の女神であり、クピドの母である。持ち物は様々だが、とりわけ海から生まれたことからホタテ貝の貝殻やイルカを有していることは留意したい。[ギリシア最古の詩人の一人、ヘシオドス(『神統記』188-200)による]。彼女の名前も、aphros(泡)を語源としている。

 美術作品において、神話的、象徴的な意味合いを失っていることは多く、裸婦の同義語ともされているが、美しいものとして描かれることが多い。その点を踏まえた上でも愛や美、豊かさの女神であったことが分かる。

 

ヘスティアウェスタ

 ヘスティアは、古代ギリシアでは家庭の中心をなす炉(日本でいうところの釜戸)を守る処女神であった。

 

 まとめると、女神たちにはそれぞれ特徴こそあるものの、豊饒や出産という点で重なる女神も多く、同一視される場合もあったために起源を一元化する見方が存在する。父権制社会での女神の位置というものは、母権制社会の名残であるという結論に飛躍することは難しく、少なからず市民(男性)が女神たちのような母性、女性性を求めたことによる結果ではないだろうか。時代やその地域によって女神の性質は少しずつ異なることがあり、一概に社会との関係性を断言することは難しい。しかしながら、人々の理想やイメージが神々に込められたことは、ギリシア彫刻を見ると容易に類推できる。



引用・参考文献

呉茂一『ギリシア神話 上』1979年 新潮社

呉茂一『ギリシア神話 下』1969年 新潮社

James Hall『西洋美術解読事典』58頁、121頁、226頁、327頁、350頁 1988年 河出書房新社

庄子大亮『西洋古代史研究』第11号「古代ギリシアにおける女神の象徴性―アテナ、アルテミス、デメテルを例に」2011年

須藤健一『母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌』1989年 紀伊国屋書店

Johann Jakob Bachofen『母権論』1861年

西岡文彦『図説 名画の歴史 鑑賞と理解 完全ガイド』2005年 河出書房新社

平山満紀母権制とはいかなる概念か」江戸川大学紀要『情報と社会』9号 1999年