ハンドメイドを再開します(多分)
表紙の作品に惹かれて購入しました。新たなジャンルに挑戦です。
というわけで、材料の要となるマニキュアを大人買いしてきました。
(といっても100均だよ)
材料が全て揃っていないので、揃い次第製作します。
ちなみに更新が暫く途絶えたのは鬱による影響です。今後も度々起こるかもしれません…。
簡単なきゅうりの漬物を漬けてみた
レシピはこちら
一週間漬けた方が美味しいらしいというわけで、一週間漬けてみた。
材料を袋に入れて冷蔵庫で放置という簡単な作業。
①袋にいれたばかりのもの
②しばらく時間を置いた状態
③完成
もぐもぐ普通に美味しい。とお皿に乗せた分の漬物をぽりぽり食べた。中まで味がしみしみ。一日漬けたものと比較できないのでなんとも言えないが、手軽に漬物が食べたい人にはオススメ。
本購入
前から気になっていた三冊。読むのが楽しみ。
ランチとおやつ
トマトとバジルのシンプルなパスタと型抜きクッキーを作った。
いつもならトマト缶で作るところをフレッシュトマトで作ったらまた味が違っていて美味しい。作り方はてきとうだが、すごく簡単なので一人暮らしの方には特にオススメしたい。
トマトとバジルのスパゲッティ
材料
パスタ…100g
にんにく…1かけ
トマト…大1個
バジル…適量
塩…少々
オリーブオイル…大1~3
作り方
前準備…パスタを茹でておく。茹でながらソースを作ると効率が良い。塩を加えて下味をつけておく。
①フライパンを熱し、オリーブオイルとにんにくを入れて弱火でじっくり香りを出す(カロリーが気になる人はオリーブオイルは少量でオススメしていますが、美味しさを追求する場合はたっぷり入れて下さい。そちらの方が断然美味しいです)。
②香りが出たら、きつね色になる前に角切りにしたトマトを投入。弱火~中火で煮る(大体茹で上がるまで煮込んでます)。
③塩で味付けする。麺に下味がついているのでそこまで塩辛くしなくて良い。
④茹でたパスタを器に盛り、トマトソースをかける。バジルを飾り付け、お好みでブラックペッパーやパルミジャーノ・レッジャーノを振りかける。
まあこんな感じ。トマト缶で作る時は一気に3,4人分できるので、残ったらタッパーなどに入れて保存すると良い。
昨日の晩ご飯
最近肉ばかりを食べていたため、この3日間は連続で魚をメインにすることに決めた。
アジの塩焼きとカリカリじゃこと茗荷のサラダ、鯛のカルパッチョ(和っぽい味付けで)、お味噌汁、ご飯。
レシピはこちら。
✿鯛のカルパッチョ柚子胡椒ドレッシング✿ by ruruchirin
アジの下拵えも参考に。
深い仲とは
深い関係とは何を以ってそう呼ぶんだろうか。
私は誰かと深い仲になったことがあるんだろうか。
なんでも話せる関係が深い関係だとするのなら、私は誰か一人に対してなんでも話せた試しがないため、深い関係を築けずに今日まで過ごしてきたことになる。
しかし、そんなに深い仲というのは良いものなんだろうか。まるで憧れない。
ツイッターでも言ったように、私は皆の心の片隅にいて、たまにどうしているのか気にしてもらえるだけで充分だ。というより、それが理想的だ。
皆とそういう関係であって、時々誰かから「最近どうしてる?」とか「ちょっと悩みが…」とか「こんな嬉しいことがあったよ」とかぽつりぽつりと呟きや関心のようなものがもらえるのが理想的だ。
関心はほどほどに欲しいが、あまり干渉されたくないのかもしれない。
魅力的な人がいれば仲良くしたいとは思う。でもそれは友達以上の関係を想定していないし、仮にそういう関係を求めたところで「友達以上ってなんだろ?」という話になる。
私の友達の定義はかなり甘く、一回遊んだら友達という感じになる。友達以上の関係の定義は今のところ「互いの面倒な部分を背負う」といったことが挙げられるがイマイチ釈然としないままである。
関係性には名前がついているが、それはあくまで便宜的なものだと思う。しかし、恋人というのは特殊で、その名前がついていると他の異性と遊ぶことが許されないケースが多い。私は本当に恋人を恋人とするのなら、その名前に頼ることなく深い関係を築いてみせよと思う節があるのだが、大抵の関係は名前があることによって「深い仲」になっているように見えているだけなのではないかと思っている。つまり名ばかりで内容が伴っていないことも多い。
ここまで書いておいてなんだが、あまり関係性における深さについて考えたくはない。考えたところで不毛な気がするし、それぞれの関係性は微妙に少しずつ違っているから名前をつけるのも馬鹿らしい、どうせつけるなら一つずつ異なる名前をつけるぐらいしても良い。
人と仲良くなりたくないわけではない。仲良くはなりたいが、それは楽しく話していられれば充分であって、その人のすべてを理解してみせる等とは思わないし、思っていたとしてもそれは自分の問題であって、相手にとってどうなのかや、相手にもそれを求めてほしいだとかは考えたくはない。
ただひたすらに受け入れていたいし、その人を浴びて感じていたいだけだ。