昔の文章…「神秘的、絶対的なものの消滅」
夢
むかしむかし親は神でした。
むかしむかし音楽は神秘的なものでした。
何か得体の知れない絶対的なものだと畏れていました。
時を経て親も音楽も実態がつかめてきました。
知れば知るほどに抱いていたファンタジーは崩壊して、神はいなくなりました。
今ある神秘は数少なく、絶対的なものは死んでいきました。
「身近になった」といえば聞こえは良いでしょう。
でも抱いていたファンタジーが崩壊してしまったのです。
何よりそれが問題です。
ファンタジーを与えようとする立場の人間がファンタジーを殺してしまいました。
解体して昇華し、表現し、伝えようとします。
やり方は間違っていません。与える立場なら誰もが辿る道です。
でもこの仕組みが悲しい。
夢を夢のままで謳えた時代が羨ましい。
それでも尚ファンタジーそのものが消滅することはないです。
ないからこそ求める気持ちが皆あるからです。
そしてそんな気持ちが消えない限り、ファンタジーは消滅しません。
空を自由に飛びたい願いは飛行機によって、ハンググライダーによって叶えられたのでしょうか。
完全にはされていない筈です。飛行機やハンググライダーではまだまだ不自由だからです。
イメージの中ではもっと身軽に飛べている、そんな風に飛びたいという思いを抱えています。
飛ぶ機械をつくる者は飛ぶためのメカニズムを勉強します。
知るほどに飛ぶ機械は完成に近づいて実現できるのに、
知るほどに「自由に空を飛ぶ」幻想から遠く離れていきます。
ファンタジーが崩壊するんです。
それでも尚、人は夢を抱き続けるんです。
私はおおよその実態、現実が掴めてきた今でも
夢を見ていたいと思っています。
夢を見続け、そのファンタジーをつくろうとすることは愚かなことでしょうか。