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万華鏡の世界

自分と自分と時々君

古代文明における女神像、その象徴性

 「古代文明」、「女神像」を指し示すものは多数存在する。そこで後の古代ローマの美術にも大きく影響し、西洋美術史の根幹ともいえる古代ギリシアにおける女神像を中心に話を展開していきたい。

 先史時代よりすでにヴィーナスと呼ばれるような女性の偶像は存在していたことが確認されており、各々の女神像における解釈をあらゆる分野の研究者が今日まで行ってきた。確かに古代の彫刻や絵画は我々が確認できるほどいくらかは残存するが、具体的にそれが当時の人々にとって何を意味するものなのか、示唆するものが定かではなく解明に至っていない。女神の象徴性という問題は、その起源の問題抜きに語れるものではないだろう。

 

 先史時代で有名なヴィーナス像といえば「ヴィレンドルフのヴィーナス」がある。これは紀元前3万年頃のもので、非写実的なぽってりとしたふくよかな体型が特徴的な女性の偶像である。「ヴィーナス」と名づけられているが、それが実際のところ女神の像だったのかは明確ではない。神秘的な大母神の聖像である説や、護符や子供の玩具である説など様々な憶測が学会で飛び交っている。多産、豊穣との関連性から社会的に高い地位を示していたものと考える研究者もいる。明らかなことは、先ほども述べたように写実的でなく非常に豊かな体型の像であるということのみである。

 

 では、確認できる事実上の「女神像」とは一体何であろうか。先行研究の数や残されている文献を考慮すると、先史時代のヴィーナス像に関して考察することよりも、古代ギリシア神話における女神達に焦点を当て、起源とともにその象徴性を類推する方が賢明であると考えられる。

 

 このテーマを考察するに当たって多くの論文に取り上げられていたのがJ・J・バッハオーフェン著の『母権論』(1861)であった。豊かさや平和といった抽象的な意味合いで捉えるのではなく、これらに関する研究というものは社会と女神像を結びつける傾向が強かった。庄子大亮の『古代ギリシアにおける女神の象徴性 : アテナ,アルテミス,デメテルを例に』で『母権論』はこのように要約されていた。簡潔で比較的平易だったため引用する。

『バハオーフェンはもともと法学者だが、古代法の研究から古代社会に関心を抱き、おもにギリシア神話における女神や女性の活躍、重要性に着目して、女性が権力を有した「母権制」が太古に存在したと主張した。』(「古代ギリシアにおける女神の象徴性 : アテナ,アルテミス,デメテルを例に」『西洋古代史研究』第11号2011年63頁引用)

 ここで鍵となる言葉である「母権制」に関して、多義的に都合良く使用されている言葉の曖昧さをできる限り排除し、混同される恐れのある「母系制」と区別を図るため定義する。

 母権制とは、女性が政治的な支配権力を有しており、社会的地位が高く、家族制度においての権利の優位性があるという意味で使用する。また、母系制は権力の有無ではなく、女性の出自を辿って家族などの社会的集団をつくり、財産を相続、継承する意味である。逆に男性が権力を有する場合は父権制社会、男性の出自を辿って社会集団を形成する場合は父系制社会と呼ぶ。

 バハオーフェンの『母権論』のような主張は19世紀に流行した風潮であり、様々な分野の研究に影響を及ぼした。実際、母権制社会から父権制社会へと人類社会が進化したというようなことを唱える人も現れた。フリードリヒ・エンゲルスやジェーン・H・ハリソンがその例である。この19世紀というのは、モラルやジェンダー観が確立した時期でもあり、進化論に注目が集中していた時期でもあることは留意しておくべき点であろう。

 現在となってはそのような見解をする者は少ない。大きな流れとしては先史時代においての母権制社会の存在はなかったとする見方が強いのだ。しかしながら、なかったものをなかったと「実証」することは難しいし、ひょっとすると「母権制」という概念の認知の差異によって議論そのものの輪郭がぼやけ、食い違っていることもあるのではなかろうか。

 バハオーフェンの影響を受け継ぎ、考古学的な解釈を盛り込んだ近年、現在のフェミニストの母権論は以下のようなものである。

 

 新石器文化に見られる偶像がほとんど女性であることとその生命を生みだす姿から、先史時代には大地や自然を女神として崇め、女性を敬い、調和を重んじる母権制社会が存在したと類推できる。しかし、その後父権制社会が確立し、先住民の母権制社会は崩壊した。ギリシア人が崇めた女神達は、その父権制社会が確立する以前の母権の象徴であり、太古の大母神の名残なのである。

 

 この見解に関していくらかの問題点が見出せるが、例えば冒頭で述べたように女性偶像が当時の人々にとってどのような意味をもたらすものであったか明確な証拠が残されていない。「生命を生み出す姿から」という部分でさえ憶測にすぎないのだ。やはり、女性偶像や神話だけでは母権制社会の存在を立証するには材料が不十分であり、暴論である印象が拭いきれない。

 また、もう1つの方向性としてギリシア神話における女神達がもともとは同一神(大母神)であったと主張する学者(アメリカの宗教史家マグリット・リゴリオーゾ)もいる。そして、単独で生命を生み出す大母神は母権社会の象徴であったと見なすのである。リゴリオーゾはギリシア神話における女神達は太古の大母神の名残であると解釈している。ガイアとデメテルのようにギリシア神話における神々が同一視されることがあったからだという。本論は、リゴリオーゾの論法を批判するのが目的ではなく、あくまで古代ギリシアの女神における解釈をいろいろに取り上げることであるため、フェミニストの主張も、実証主義の解釈の真偽も問わないこととする。

 しかしながら、なぜギリシア神話における神々が同一視されることがあったのかという問題は女神像を探る点で無視できない。オリュンポス12神における女神を中心に個別にみていきたい。

 

アテナ(ミネルヴァ)

 アテナは、アポロン(アポロ)と同じく恩恵と文明をもたらす神で、ゼウス(ユピテル)の娘である。また、学芸諸団体の守護神で様々な手仕事、とりわけ女性特有の領域である出産や糸紡ぎ、機織の守護神であったが、一方で古くは戦争の女神であった。古典古代の美術ではメドゥーサの首はアテナの山羊皮のマントの上に置かれているが、後代になると首は女神の楯を飾っている。そして、男を必要としない処女母神である。

 古代ギリシアよりローマ、ルネサンス、およびそれ以降で変わらなかったのは、恩恵の女神としての姿である。この場合は、梟が傍らにおり、しばしば学問の象徴である書物の上にとまっている。

 また、アテナはアテナイの守護神である。『転身物語』6:70-82によると、アテナとポセイドンはアテナイを都とするアッティカ地方の領有をめぐって争っていたが、アテナが平和と豊饒の象徴であるオリーブの木に花を咲かせたことで勝者となったというエピソードがある。

 そういうわけで、アテナイ市民の擬似的母ではあったが、ここでいう「市民」とは男性のみのことであったため、父権社会の守護神でもあったとも言える。さらには、アイスキュロスの悲劇『エウメニデス』(前458年上演)で『万事において、私は男性に味方します。』という彼女の語りがあるため一層その印象は強い。

 

アルテミス(ディアナ)

 アルテミスはゼウスとレトの娘で、アポロンの双子の妹である。アテナと同じく処女母神である。そして狩人であり、純潔の擬人像であった。ギリシア時代より前では、その原型は地母神であったとされている。そしてアルテミスは月の女神セレネと同一視されることもあった。

 プラトン『テアイテトス』149Bによれば出産の女神でもあった。処女神であるがゆえに、その領域を司ることができるとされたのだ。そのため、お産の女神エイレイテュイアと同一視されたり、スパルタではオルテイアと呼ばれたりした。

 アイスキュロスアガメムノン』141-143によると、自然界の生命を愛し司る存在であったとされる。人間の態度によって激しい怒りを見せることから、自然に対する人々の畏怖の念の象徴でもあったようだ。

 アルテミスの兄とされるアポロンは音楽や医術、律法、裁判などの文化、公共の領域を司る神であり、アルテミスとは対照的であった。そのことからも、より一層自然を司る神である印象が強く、ポリスの周縁ないし外の領域に位置する神であったと考える。

 

デメテル(ケレス)

 デメテルは古典ギリシア語で「母なる大地」を意味するように、ギリシア神話の農耕の女神である。とりわけ穀物と関係が深く、繁殖力の源である地母神として崇拝された。古典古代彫刻では両手にそれぞれ蛇を掴んでいることが多い。大地の豊饒を示す擬人像としては、穀物の穂の冠をかぶり、穀物の束あるいは果物や野菜のつまった豊饒の角を手に持つ姿で表現される。

 

ヘラ(ユノ)

 オリュンポスの最高位の女神でゼウスの姉妹で妻である。結婚や出産を司る女神として崇拝された。通常の持ち物は孔雀で、古代にはヘラの聖鳥とされた。また、古代においてはさらに柘榴と郭公のとまった笏という持ち物を有していた。柘榴は、種が多いところから豊饒を意味している。

 主には結婚の女神として捉えられることが多いようだ。嫉妬深い一面もあり、その点からも女性性を見てとることも可能だろう。

 

アプロディテ(ウェヌス

 アプロディテは、愛と豊饒の女神であり、クピドの母である。持ち物は様々だが、とりわけ海から生まれたことからホタテ貝の貝殻やイルカを有していることは留意したい。[ギリシア最古の詩人の一人、ヘシオドス(『神統記』188-200)による]。彼女の名前も、aphros(泡)を語源としている。

 美術作品において、神話的、象徴的な意味合いを失っていることは多く、裸婦の同義語ともされているが、美しいものとして描かれることが多い。その点を踏まえた上でも愛や美、豊かさの女神であったことが分かる。

 

ヘスティアウェスタ

 ヘスティアは、古代ギリシアでは家庭の中心をなす炉(日本でいうところの釜戸)を守る処女神であった。

 

 まとめると、女神たちにはそれぞれ特徴こそあるものの、豊饒や出産という点で重なる女神も多く、同一視される場合もあったために起源を一元化する見方が存在する。父権制社会での女神の位置というものは、母権制社会の名残であるという結論に飛躍することは難しく、少なからず市民(男性)が女神たちのような母性、女性性を求めたことによる結果ではないだろうか。時代やその地域によって女神の性質は少しずつ異なることがあり、一概に社会との関係性を断言することは難しい。しかしながら、人々の理想やイメージが神々に込められたことは、ギリシア彫刻を見ると容易に類推できる。



引用・参考文献

呉茂一『ギリシア神話 上』1979年 新潮社

呉茂一『ギリシア神話 下』1969年 新潮社

James Hall『西洋美術解読事典』58頁、121頁、226頁、327頁、350頁 1988年 河出書房新社

庄子大亮『西洋古代史研究』第11号「古代ギリシアにおける女神の象徴性―アテナ、アルテミス、デメテルを例に」2011年

須藤健一『母系社会の構造:サンゴ礁の島々の民族誌』1989年 紀伊国屋書店

Johann Jakob Bachofen『母権論』1861年

西岡文彦『図説 名画の歴史 鑑賞と理解 完全ガイド』2005年 河出書房新社

平山満紀母権制とはいかなる概念か」江戸川大学紀要『情報と社会』9号 1999年