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万華鏡の世界

自分と自分と時々君

所謂普通のクリスマスイブを過ごしてみた。

私は日本のクリスマスという行事が不自然に見えて仕方がなく、偏見の眼差しで日本人のクリスマスの過ごし方を捉えている節があり、時にひどく侮蔑的にさえ見てしまうことがあるのだが、実際のところそのような過ごし方は面白いんだろうか、という疑問があった。そもそも「普通」とつけてしまうからには大半の人に当てはまっていなければならないが、とりあえず私が普通と呼んでいるものを示しておこうと思う。好きな人と出かけるかご馳走を作るかして何らかの記念日やお祝いという形で過ごす過ごし方を私は普通と呼んでいる。

ところで、他の日は気にならないのになぜクリスマスだけこうも気になってしまうのだろうか。おそらくだが、それは幼少期の過ごし方が影響しているのではないかと考える。クリスマスは昔、一年で最も不思議で幸せな日だった。何故かサンタという謎の人物からプレゼントが贈られてくるし、その前日には良く分からない謎のお祝いとしてご馳走が出た。ケーキが食べられる、ご馳走が食べられる、おまけにプレゼントがもらえる。理由なんて必要なかった、それは幸せなことに違いなくて、そしてその幸せは当然他の人も同様に与えられるものだと思っていた。

でも、幸福の色はひとつでないことを知り、(幸福は他の人も同様にもたらされるわけではないというショックがあり)サンタは親の「愛」によるものだと知り、お祝いは一応キリスト教と関係があることを知ってからは不信感が募るようになってしまった。形骸化されたものというのはやはりやっていて的を射ないなと感じてしまうし、それを楽しむにはそれに相応しいだけの幸福の自覚がベースに必要そうである。私はそもそも祝い事が好きではないし、理由のない祝い事なら尚更そうであり、さらに幸福を恒常的なものとして自覚するということは苦手で仕方がない。そういうわけで、クリスマスを「祝う」のにかなりエネルギーを要するため、クリスマスと託けて料理をする以外のことは普段していない。

私が普通のクリスマスイブを過ごすきっかけは、彼のご両親の心遣いによるものだった。そのため、ノーということができなかった。誘われたからには楽しもうとしたが、結果から言うと、彼のご両親には申し訳ないが、いつもの過ごし方の方が充実しているように感じた。

24日、その日はクリスマスコンサートを聴きに行った。内容はミーハーといえば良いのだろうか、有名どころしかない演目が並び、その時点で私は少しげんなりした気持ちになってしまっていた。しかし、思いの外演奏は良く、ラインナップの自由さからは想像できない理知的な演奏だったように思う。ただ楽譜通りすぎるというか、もう少しその行儀の良さをコントロールできる範囲で上手く外せていたらより良かったかもしれない。ソプラノ歌手の歌声でビブラートの揺れ幅が広すぎて若干恐怖を覚えることがあり、また、曲によって音のばらつきが見られることがあったがアンコールに何度も応えるような演出と、曲数の多さを考えると値段相応かそれ以上のように思えた。ホールは文句のつけどころがなく、綺麗に音が伸び、音と音が溶け込むような感じがして心地良かった。

この時点で帰宅してご馳走を作って食べていればもう少しクリスマスが楽しいものだと思えたかもしれないが、この後が結構大変だった。軽食を済ませた後に、六本木ヒルズに向かい、列に並んだ。プロジェクションマッピングや、プラネタリウムのあるイベントがあるとのこと。私のために彼のご両親が考えてくれたプランだったため、行くことにしたが、90分待ちという予想はしていたけどやっぱり待つなあというだるさに早速見舞われた。そして楽しめる人もいるかもしれないので、行った感想をざっくり言うと、私には合わなかった。あんなにお金をかけても人を楽しませることができないのは逆にすごいなと思えるほど、無駄にお金のかかったイベントであった。ちなみに彼のご両親も不満気であった。

その後に見た宇宙展もあまり触覚は動かなかったが、プラネタリウムもどきよりは全然マシで、インタラクティブ・デジタル・インスタレーションと呼ばれる体験型の作品は評価できた。よく出来ていたが、音楽に関していうならスピーカーの数を増やし、会場を包み込むような感じに設置し、音楽をそれ用に立体的に制作すれば、もっと映像との一体感が楽しめたのではと思う。

一通り「楽しんだ」後、銀座のイタリア料理のお店で夕食。クオリティはかなり高かったし、通常のコースであればコスパも良いんじゃないかと思えるほどの料理であった。(クリスマス用のコースは少し高めに設定してあるような気がしてしまった。)ワインが美味しく、食事も美味しく、話も楽しい。こういう体験は久々だなと心から喜べた。そして銀座の街を歩き、なぜかクリスマスケーキを購入し、帰宅。

印象的だったのは、並ぶ人達の顔が皆幸せそうだったことだ。なぜ、あんなに並んでおきながら幸せでいられるのか。そして、なぜあの無駄にお金がかかったセットをそれなりに楽しめたのか不思議だった。つまるところ、なぜ日本人がクリスマスを楽しめるのかという疑問が湧いただけの1日であった。あんなに大変な思いをしてまでして、クリスマスを楽しもうとする人のことは理解できないが、人生は楽しんだ者勝ち、というわけで楽しめる人は強いなと感じた。

クリスマスに対して私は否定的な目で見ているように思われるかもしれないし、実際そういう面があるのは拭えないが、楽しめるなら楽しんだ方が良いとは思っているため、クリスマスなんて行事がなくなれば良いと思っているわけではない。

ただ、私はなんとなくな「中身のない」お祝い事であるクリスマスにやはり違和感を覚えているに違いない。私が子供にクリスマスという「幸福な」イベントをするかと言われると首を傾げてしまう。心から祝えない行事なんてやったところで子にもそれがバレてしまうんじゃないかと恐れているからだ。私と同様のクリスマスショック的な魔法から覚めてしまうという経験をさせたくはない。「失う辛さより、何もない寂しさなら耐えていける」といった心から来るんだろうか。何にせよ、幸せは演出するものではないと思う。もっと自発的な何かが良い。