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万華鏡の世界

自分と自分と時々君

『音楽美学』について

 

音楽美学<野村>

音楽美学<野村>

 

 以前紹介した本をようやく読み終えた。

emi0x0.hatenablog.com

 読むのに丸1年もかかってしまったわけだが、どうしてそんなに遅読だったかというと、もともと読むのが得意でないのと、美学的アプローチに全く馴染んでいなかったからというのがある。本をパラパラと開けば分かるが、聞いたことのない音楽批評家、そして耳にしたことはあるが、詳しくは知らない哲学者の名前がぞろぞろと出てくる。ここで、それぞれの人物についていくらか知っていれば読みやすかったのだろうが、全く知らない状態で触れた私にとって、この本のみであらゆる思想や捉え方、主義を把握しようとするのは無謀であったと思われる。

そもそも「音楽美学」とは何なのか、何をするものなのかというと、本の頭には次のように書かれてある。

音楽美学、一般美学の一分科は、特に音楽における内容と形式との探求、ならびに音楽の表出力と表出法に関する問題を問うことを課題としてもつ。古代やことに中世が音楽の本質に関する哲学的な問いを音楽のあらゆる理論的な考察の冒頭においたが、現代的意味での体系的音楽美学は十八世紀以来初めて成立する。音楽美学は音楽理論(和声学、作曲学、楽曲分析)からは次の点で区別される。すなわち、それは個々の音楽作品の制作や構造についてはあまり問題にせず、むしろ一つの全体としての、与えられたものとしての、美的とか魅力的とか醜とか崇高とか(それらに対するあらゆる部分的諸前提とならんで)の諸範疇にしたがっての、人間精神における音楽の反映を対象とするものである―あるいは少なくとも対象とすべきであったのである。

音楽美学は一般美学の一分科で、とくに音楽における形式と内容の関係、音楽の表出力と表出法に関する問題などを研究する。

イマイチ釈然としない部分はあるが、「 音楽とは何か」といった定義や、「音楽は感情を表現するためのものであるか」といった問いなど、哲学的な問いはほぼここで検討されるべき問題として扱われるという認識で良いと思う。では音楽哲学とどう違うのかというと、少なくとも音楽哲学は音楽美学にとどまる必要はなく、音楽論理学、音楽倫理学でもあるべきであろう、とされている。

本著では音楽美学の定義から、音楽美学思想史において音楽とはどのようなものであったかということや、形式や内容、様式、実践といったところで音楽美学的な問題を取り扱い、最後は音楽の本質について迫るという形で締めくくられている。

今日様々な音楽が存在するが、普段音楽に触れる人は「音楽とは何か」という問題にぶつかるのだろうか。一般的には何の疑問もなく西洋音楽的な音楽を音楽作品として捉えているように思う。楽典的に言うと、音楽とはリズム、メロディ、ハーモニーの3要素から成り立ち、作曲、演奏、鑑賞の三者によって成立する。もう少し広く捉えると、連続する時間の流れの中で享受する聴覚的な時間芸術であるといえる。しかし、よくよく考えてみればそれだけでは不十分であることに気がつく。あるいは、もっと根本的な音楽の特徴が見えてくるかもしれない。私の場合、音楽に触れれば触れるほど音楽の定義や本質、特徴を考えざるを得なかった。良い音楽を作りたい。良い音楽とは何だろう、そもそも音楽とはなんだろう。そのように自然と生まれた問いだった。似たようなところで躓いたり、立ち止まったりした人には音楽美学を薦めたい。きっと学ぶ前より音楽について深く知ることができるし、自分が音楽とどのように関わりたいかという部分でも見えてくるものがあるように思う。

 

音楽美学の主方向の体系的分類は3つに分かれる。

A、音楽の原理や法則は音楽自体のうちにある

これにさらに音楽を①一種の論理学のように考えるものと、②形式主義的と言われるようなものと、最近の③力学的な立場に立つものとを分けることができるのである。

 

B、(AとCの中間)音楽を言語に関係させて考える。

①音楽を一種の言語とする②本来言語を伴うものとして考える、さらに前者においても、音楽を象徴として、いわば超概念的な言語と考えるものと、一種概念的な、悟性的にも把握できる性質をもつものなることを主張する立場とがあり得る。

 

C、音楽の原理や法則はそれ自体としては音楽外のものである

音楽を何らかの意味であるいは世界を、あるいは人間を反映ないし表現するものとするのである。

 

音楽美学思想史、音楽の内容についてはまとめようにも長くなってしまうので割愛。

以下メモ書き。

現代の音楽美学は即物主義的、客観主義的、力学的、エネルギー説的。気分美学・情緒説に反対し、単なる形式理論を退け、音楽における純音楽的なものの把握に全力を集中する。楽曲の詳細な専門学的分析を通じて、音楽の本体を力性やエネルギーに還元し、その緊張と弛緩の過程をできるだけ客観的に記述している。

現在のわが国の一般音楽愛好家の美学的立場はロマン主義的であるのに対し、作曲家や演奏家の幾人かの立場は現代の力学的立場をとっている。

ロマン主義的立場から見たロマン主義的音楽美学は主観主義的、感情主義的、詩的、文学的等々によって特色づけている。論理的、悟性的なものに対して感情的なものを強調し、音楽に情緒の充溢、有頂天の感激を求め、好んで音楽を詩的ないし文学的に解釈しようとした。

音楽作品には必ず何らかの秩序があり、しかも現代音楽美学はそういう秩序を学的にある程度明示することができるようになった。―しかし、ただ音楽の一面を学的に捉えたのにすぎないのである。音楽における秩序の問題こそ、われわれの美学の根本問題であり、美学がそれを知性的学的に探求するのに対して、音楽の芸術的鑑賞においては、秩序は主として直観的と同時に多分に感情的に把握される。

 

ロマン主義的音楽美学を完全に否定できるかどうかについては次のようにある。

標題音楽、映画音楽、色彩音楽、具象音楽等を考慮すると、音楽は実際には音楽外のいろいろなものと深く結び合っており、絶対音楽的なものは例外と言っても言い過ぎではない。だから現実において音楽は純音楽的に聴くべしと主張しても、我々が普通に接する音楽においては矛盾を感じざるを得ない。

 

最後音楽の本質についての章があるが、結論から言うと、

「ことばは定義することができない」と同様、「音楽は定義することができない」。古代ギリシア音楽、調性音楽、伝統邦楽、ジャズ、十二音音楽、前衛音楽のそれぞれは定義可能であろうが、それらすべてに通ずる音楽の定義はもはや不可能である。

 とある。個人的にはあっけらかんとしてしまった結論であるが、その通りでもある。ということは、つまり音楽の本質について考える際、各々の音楽の定義が必要になってくるし、どのような時代のものかといった音楽の背景も単なる「背景」としてでなく、様式、形式などの「内容」として取り扱われる必要があるということが分かる。様々な音楽の捉え方を追ったからこそ辿り着いた結論であるが、やはり音楽全体を通して定義することは実は可能かもしれないという期待が捨てきれない。

と、かなり内容の濃い一冊であったものの、音楽思想史や音楽の内容についてはまだまだ物足りない感覚を覚えたため、今後突っ込んでいきたいと思う。