万華鏡の世界

自分と自分と時々君

片想いの果ては自らの問題ばかりで

片想いは変だ。相手のことが良く見えない。

自分のことばかり見える。

孤独が私の目を濁すようだ。

それを避けようと孤独を感じる時には相手を求めないようにしている。

相手を思い続けるということがどういうことなのか分からない。

相手のことを考えていても、いつの間にか自分の問題ばかりにぶつかってしまう。

自分は相手の望むような語りができない。

もとより相手の望むようなものを想定してしまうことは傲りなんだろう。

とはいえ語る力がなさすぎる。

君の興味の内にいない。

元々外側の人間だ。

いつも片想いのうたを書くと、孤独に結びついてしまう。

片想いの関係性を描けるはずもなく、独りよがりになってしまう。

同じテーマを延々と書き続ける私は、見えない牢獄の中に閉じ込められているようだ。

例え何らかの形で結ばれたとして、

つまり相手が私を見てくれたとしても、それは決して「繋がった」という体感にならない。

永遠に片想いは片想いのままである。

言葉や体や行為を重ねても埋まらない何かを抱えながら、

延々と孤独について考えながら死んでいくのだろうと思う。

また、君にとって興味のないことであっても、私は読書をやめないし、勉強の方向性を変えることはないだろう。

君が興味をもっていることに、君が興味をもっているからもつのでなく、

自分の興味が君とたまたま重なれば良いなという片想いを抱いて生活したいから。

 

誤解のないように注釈しておくと、この「君」はブログを見られる人のいずれかであるという意味ではない。

去ってしまった人含めて私が片想いしている相手皆を意味する。