万華鏡の世界

自分と自分と時々君

見知らぬ彼女

彼を通して見える彼女は非常に可愛気があって透き通っていた。

まっすぐに彼を見つめて、信じて疑わない。

しかし、彼女には見せない姿が彼にはあった。

病気だ、と私は思った。なんとか治したかった。

まだ見ぬ、そしてこれからも絶対に会えぬ彼女のためにも。

ところが、病は私を発端としていた。

どうしようもなかった。せめて私が彼女だったら……。

ただ苦しかった。彼の前で何度涙を流しただろう。

どうして自分だけ黒い感情を抱かなければならないのだろう。

何故こんな目に遭うのか分からない。彼を憎みさえした。

私はいつも汚れていた。クタクタに疲弊していた。

そこから解放されてやっと自分になれた。

そして時が経ち、そんなことを考える自分さえいなくなり、

私は本当にくすんでしまった。

嫉妬の末

彼女は私の日常の端っこにいた。そっと彼を見守っている。

私は彼女が彼に好意を寄せていたことを知っている。彼女も私のことを知っていた。

彼女が彼と話をする時、ほんの僅かに見える切なさを私はチクリと勝手に感じる。

昔はチクリどころではなかった。嫌悪感もあったが、今ではもう可愛いものとなった。

彼女は未だに痛みを感じているのだろうか。

見えない溝に声を発し続けているのだろうか。それとも。

私は彼女の、その薄紅色の半透明な羽根を踏み躙っている感覚を覚える。

どのように考えても彼女にとって私は都合の悪い人物である。

しかし、彼女は私のことを好きだと言ってくれる。

そのことがさらに私を悩ませ、苦しめるようであった。

明らかに私は彼女を間接的に虐めていることになるのだけれど、彼女はいつものように笑うだけであった。

今日もまた日常の端っこにいる彼女を感じている。

チクリと刺す半透明の痛みが、喜びと切なさと醜さを私に呼び起こす。

音楽に対して何も思うことがないという話

「何も思うことがない」ということがどういうことなのかについて話したい。

私は音楽が嫌いで、なぜ嫌いかというと頭の中で鳴り響いて離れないからである(厳密には、「頭の中で鳴り響く音楽」が嫌いで、音楽の全てを嫌っているわけではない。頭に比較的残りにくい音楽に対しては好意的である)。もうこの時点で「思うことがあるじゃないか」という意見が出るだろうけれども、あえて無視して話を進めたいと思う。嫌いならなぜ音楽について勉強するのか、という問いも簡単に見出だせるが、それは考えざるを得ない状況に音楽が追い込んでくるからである。好きや嫌いといった感情で接しているわけではなく、考えなければならない状況になぜか追い込まれるといった感じだ。私は、幼少期からピアノを習わされ、なんとなくではあるが常に音楽とともに歩んできた。つまり、今更嫌だと振り払おうとしても、腐れ縁のごとくついてくるのが私にとっての音楽というものである。そのため、なぜそのように頭の中で鳴り響くのか、排除するためにそのメカニズムが知りたいと思うようになった。もっと柔らかい言葉でいえば、人の情動を喚起する音楽のその性質についての詳細が知りたい。そのように私の知りたいことというのは、おそらくあらゆる分野から音楽を捉えなければ自分が納得し得ないだろうと考えていて、さらに、捉えるだけでは不十分で構築できなければならないと現段階では考えている。

ここまでで、おそらく私が音楽を賞賛したいわけでも、音楽を通して何かを成し遂げようとしているわけでもないことが分かるはずである。前述にあるように、知りたいことはあるが、私が音楽をする時、考える時、それは必ずしも目的を伴うわけではない。私が音楽について何かを書く時、それは自分の感情を抜いたものであることが多い。なぜなら音楽に対して好きだという感情が希薄だからである。そういう意味では「何も思うことがない」のに、書いているという図になる。実に滑稽である。諸々の音楽に対する評価が淡白であるのも、良いか悪いかは言えても大半のものが好きではなく、関心が低いからである。そんな熱情を欠いた状態で一体何を熱く語れば良いのだろう、何もない。しかし、音楽について多角的な視点で考えるということ自体は好む。なぜなら、考えることが好きだからだ。一番身近で一番知っているであろう音楽はそういった意味で手頃な存在である。この辺りで何か矛盾を孕んでいそうな感覚はあって、人から首を傾げられてもおかしくはないだろう。それに全く思うことがなければ、文章に起こすことは不可能かもしれない。何を書くかに関して、私自身は面白いと感じたことを書くようにしているつもりである。読み手に面白いと思われなければ、それは伝え方がまずいということになるし、(もしくは感覚の相違によりその人にとっては面白くないことである)面白いと思ってもらえれば嬉しく思う。

音楽の話のスタートはいつも「何も思うことがない」。何もないところから手探りで書いている状態である。

ミュージックセリエル、そして偶然性の音楽

 「4分33秒」。音楽界に波乱を巻き起こした曲である。一般的にピアニストが演奏することが多い曲で、(絶対にピアノだと決まっているわけではない)3楽章に渡りタセット(休止)と楽譜に記述されている。つまり楽音は一切登場しない。沈黙の音楽として私は高校生の頃から認知していた。知った当初はあまりに衝撃的で、音楽とは認めたくないあまりに非難ばかりをしていたが、今はやや考えが改まった。その話については後ほど記述する。

 どうしてこのような極端な音楽が登場したのか、その流れは同時期に流行したミュージックセリエルと深い関係がある。

 戦前はロマン派の流れから、ドイツに負けないフランスらしい音楽をというわけでドビュッシーに代表される色彩豊かな印象派音楽がフランスで流行、ドイツではロマン派の流れを引き継いだシュトラウスを代表する後期ロマン主義が、確立された形式、和声、巧みな管弦楽法を重んじたドイツ音楽として最後の輝きを放っていた。そして懐古的な原始主義といわれるストラヴィンスキーの音楽もこの時期であり、民族音楽を取り入れたバルトークの音楽も同時期、さらに無調音楽として有名なシェーンベルクウェーベルンなどの音楽家もほぼこの時期である。このように20世紀付近の音楽というのは一概にこうだとは述べられないほど様々な方向の音楽が登場し、混沌としていた。

 今回この中で注視したいのは、シェーンベルクの12音技法である。調性に代わる音楽の方法論として無調の12音技法を確立させた。これは12の音を1つずつ使って並べた音列を半音ずつ変えていき、12個の基本音列をつくる。そしてその反行形を作り、さらにそれを基に逆行を作り、反行形の逆行形から12個の音列を得てトータル48個の音列を作り、曲を作るのが12音技法である。理論立てられたこの方法で音楽としての統一性を得ている。20世紀音楽は、シェーンベルクによって開拓されたといっても過言ではないだろう。

 そしてこの無調の流れはシェーンベルクの弟子のウェーベルンに引き継がれる。ウェーベルンの後期作品では部分的に音価をセリー的に扱ったものもある。シェーンベルクの12音技法は音高に関しては斬新な方法で調性に打ち克つ論としてはかなり有効ではあったが、音価や強度等の他のパラメーターは従来通りだった。

 その12音技法の方法論の矛盾点、曖昧な部分を解決したのがオリヴィエ・メシアンである。メシアンはすべてのパラメーター、音高、音価、強度を対象にそれらを数列化し、論理構築を図った。これをフランス語ではセリー・アンテグラルといい、そのほかの呼び方として全面的セリー音楽、総音列主義などがある。最初の数列と数式を決めたあとは計算によって自動的に音楽作品ができあがる。これが世間に知られたきっかけが「音価と強度のモード」である。  

 これは、メシアンが当時の若い前衛音楽家たちを集めた現代音楽講習会の講師として滞在中のダルムシュタットで作曲したピアノ曲である。これに感銘を受けたメシアンの生徒であったピエール・ブーレーズがこのトータルセリーの第一後継者となった。

 ブーレーズによるトータルセリーの音楽というのは、メシアンとは異なる。初期こそトータルセリーの要素を含んだ曲や、ウェーベルンの様式を意識したものを作っていたが、「ピアノ・ソナタ第三番」以降の楽曲では新しい様相を見せている。2台のピアノのための「ストリクチュール第1巻」そして「ストリクチュール第2巻」。これらでは同時期に活躍していた作曲家ジョン・ケージの偶然性の音楽の要素を取り入れている。「管理された偶然性」と現代音楽史では呼ばれていた。

 完全に計算によって構築するメシアンのトータルセリー音楽とは異なり、楽章の順序を演奏者に委ねている。そして各楽章もいくつかの断片によって構成されていてその演奏の順序も自由である。しかしその音楽的な素材となっているものは、ジョン・ケージの作品とは比較にならないほど厳格に規定されている。ここがトータルセリー音楽としての「らしさ」なのだろうか。ウェーベルンの点描的なセリー主義の音楽を強く意識している様子がこの「管理された偶然性」の音楽にも現れているのがうかがえる。

 私はメシアンブーレーズのトータルセリーの音楽に関しては、その新しい方法論を確立させようとした音楽史的な流れや、意図については評価したいと考えているが、実際曲を聴いた際に全く理解ができず、色彩性があまりに乏しく感情の揺動を起こし得ない点から腑に落ちない面持ちになる。あまりに流れが読めない音列の集合体を音楽として知覚するには至らず、難解である。このように感じている人は私だけではないはずだ。そしてその難解さ故に演奏もかなりのテクニックが必要と見られる。おそらくそのことが理由で衰退していったのだろう。

 ところでメシアンについて、彼は理論立てた音楽を構築したため非常に無機質で、冷淡なイメージをもたれるかもしれないが(個人的にそう感じているだけかもしれないが)、熱心なカトリック信者であり、さらに自然をこよなく愛する一面もあった。それが現れているのが『鳥のカタログ』である。これは各曲が鳥の名前になっており、採譜した鳥の鳴き声のカタログの様相を呈している。音楽史的にはあまりこの部分が触れられない印象があるが、実はメシアン最大規模とわれるピアノ曲集がこれなのだ。そのことには僅かながら目を向けておきたい。

 先ほどの話ですでにあがったがメシアンブーレーズのトータルセリーの流れとは異なるのがジョン・ケージの音楽である。彼は大学中退後ヨーロッパに渡り、そこで出会った芸術に感銘を受けて作曲を始めた。そしてアメリカに戻りロサンゼルスに亡命中だったシェーンベルクに音楽を学んだ。初期はシェーンベルクの音楽のオマージュのようなものが多い。

 1940年頃には、グランドピアノの弦にゴムやボルトなどを挟んで音色を変化させたプリペアド・ピアノを考案する。徐々に彼独自の音楽性が現れてくる。

 そして、彼はこの時期には12音技法をマスターしていたようだ。それをさらに確率的に変調させてその可能性を開拓していた。そして1945年に鈴木大拙に出会い、禅を2年学ぶ。東洋思想に触れた契機がここにある。その後に中国の『易』を学ぶことで偶然性の音楽へ結びつくこととなる。

 この時期に彼が無響室を体験していることも興味深い。無響室で完全な無音を体験したのかと思えばそうではなく、彼はそのときに体内からの音(心臓の鼓動音)を聴き、沈黙を作ろうとしても不可能であることを知ったと言われている。

 東洋思想をもとにつくられたのが「易の音楽」であり、これは貨幣を投げて音を決めた。これが不確定性音楽のできる契機となった。不確定性の音楽は偶然性の音楽の一種であり、これは演奏や鑑賞の過程に偶然性が関与するため、演奏の度に異なるものになる。「易の音楽」の場合は作曲の際に偶然性が関与するが、演奏の際にそれがないため厳密には不確定性の音楽とは呼ばれず、「チャンス・オペレーション」といわれる。

 そういった流れを経て1952年に偶然性の音楽、ケージの代表作の1つである「4分33秒」が発表された。

 ちなみに、1950年には図形楽譜(図形譜)ができる契機となる出会いがあった。ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会場でケージとモートン・フェルドマンが偶然出会ったのだ。それまでセリー的な技法や伝統的な和声法を用いた曲を作っていたフェルドマンだが、徐々にその体系とは異なる曲を作り始める。そしてグリッドを用いたり、一定の時間において演奏する音の数を記したりするなどをして図形楽譜を生み出し、それを使用して様々な試みを行ったといわれている。

 フェルドマンはこれにより偶然性の音楽や不確定性の音楽に非常に影響を与えた人となるが、フェルドマン自身は、演奏家に好き勝手に楽譜を解釈され意図しない方向へ曲が変化するのを許容できず、70年代にはこの記譜法を放棄する。

 私も、図形楽譜のような大層なものは書いたことがないが、アクースマティック音楽のような現代的な曲を制作する際は必ず楽譜のようなものを作っていた。トラックごとのイメージをそれぞれ丸や点、線に置き換えて並べるのだ。クレッシェンドやフェルマータ、英語説明や数字など様々な表記法が混在しているもので、自分はこれを見ればおおよそどのような曲にしたかったのか見当がつく。そして完成した音楽をアクースモニウムで万一他の誰かに演奏してもらうことになった場合は精緻し、より体系化させた楽譜のようなものを渡すかもしれない。ところが、演奏された音楽が自分の全く意図しないひどいものになったとしたらどうするだろうか。やっぱり憤慨するかもしれない。そう考えるとフェルドマンの心境は少なからず理解ができる。彼の意図した図形楽譜の位置づけというものは、あくまで従来の五線譜の表記法では表記できなかったジャンルの音楽を表記するためにつくったものであって、決して演奏者による自由な解釈の誘引や、解釈の幅を拡張するためのものとは考えていなかったのだろう。それでは楽譜の言語性の価値を踏み躙ることになる。

 「4分33秒」、偶然性の音楽の話に戻る。私が高校時代に書いた小論文では以下のように意見をしている。

 

[ アメリカの作曲者ジョン・ケージは、音を一切出さない「4分33秒」という曲を作った。彼はこの曲をオーケストラで演奏した。ピアノのふたの開閉をする以外に演奏者の動作はなかった。観客は音のない「音楽」を4分33秒の間聴いた。これは音楽作品の在り方を私も含め、多くの人に改めて考えさせられるきっかけになった。この曲は、沈黙の音楽として二十世紀の音楽界に波紋を巻き起こした。

 このことについて賛否両論あるが、私は、音楽として考えた場合にはこの曲を音楽とは言えないのではないかと考える。音は音楽の根本的な要素であって、静寂のみを素材とすることは音楽の否定をすることになりかねない。ここでいう静寂とは、無響室のような全く音のない環境をいっているのではない。かすかな音響が存在する音空間を指す。静寂は、人に安らぎを与え、美しさを感じさせる。音楽が存在するためには静寂は不可欠なものである。そして音楽は、まず静寂を美しいと認めるところから始まるものだ。作曲をする時、気に入らない旋律があると消し去ってしまう。これは、その旋律よりも静寂に戻した方が美しいと認めたことになるのだ。音楽作品もまた、静寂が始めにあり、演奏があって全て終わった後に再び静寂が訪れることで成り立っている。音楽作品の価値もまた静寂に委ねられており、音は最終的には静寂に打ち克つことができないのだ。このような意味で静寂は音楽の基礎といえる。そして音楽は静寂の美に対立し、それへの挑戦によって生まれたもので、音楽を創造することは静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を追及することである。

 つまり、音楽作品には静寂を基礎とする音が必要なのだ。ジョン・ケージの「音楽」は自然を模倣し、非常に精神性が高いものであるという点で芸術だとは言えるが、静寂に克つために音を素材として使うことをしていないため、音楽だとは言い難い。ただ、静寂の美を人に再び気づかせるきっかけをもたらした点で彼の作品は認められるべきである。](『音楽作品とは』よりl12-32抜粋)

 

 根本的な総意からまず覆すが、さすがに音楽作品として認められているからには音楽ではないと意見するのは今や厳しい。「4分33秒」は紛れもなく音楽作品である。だがしかし、「4分33秒」が登場するまでの「音楽作品」というのは、上にもあるように静寂を基盤として楽音が存在することで成り立つものであったことは確かである。ところが、ケージはその静寂に存在する音も素材として捉えたのであり、ここがこの音楽作品としての要である。従来の「音楽作品」の定義からすれば確かに「音楽作品とは言えない」とも言えるのだが、「4分33秒」は従来とは全く異なる新しい音楽の枠組みを構築したのだ。

 なぜ当時の私が頑なにこの音楽を拒んだか少し釈明をすると、楽典や和声法を学んでいる真っ最中でまさに従来の音楽の規則に呪縛され、苦しめられていたからである。古典的な規範に囚われ雁字搦めになっていた私は、ケージのあまりの天才っぷりに驚嘆し、妬んでいたのだ。

 音高や音価、強度を選定する作曲家のある種の楽しみ、そして苦しみを丸々取り去ってしまった「4分33秒」。実際に鑑賞をすると、やはり普段ポピュラー音楽や印象派以前のクラシックに慣れ親しんでいる私は拒絶をしてしまうが、サウンドスケープという概念で捉えるともう少し違った感覚で捉えることができる。ただ「4分33秒」ができた時代にはその概念はないし、サウンドスケープは芸術音楽とはまた少し違った方向性(芸術というよりデザインに近い概念)であるためあまりここでは語らないこととする。芸術音楽として鑑賞した場合には、音楽の新しい枠組みを構築してしまったケージの偉大さにやはり嫉妬心を覚える。

 和声法に始まった曲作りの際の規範構築は、大きく見るとトータルセリーまで上りつめたヨーロッパの流れと、全てを開放し偶然に任せたアメリカの偶然性音楽という流れになった。当時は思いもしなかった人が多いが、音楽史として流れを辿ってきた私にとっては、あまり意外性のない当然のような結果だったと考える。

 しかし、それ以降の様々な音楽や現在溢れている音楽を耳にしても、今後どのような展開があるのか予測できないでいる。どちらかというと音楽の発展はもう止まってしまったのではないか、という意見に賛同している状態である。

 

参考文献

ヴァルター・ギーゼラー『20世紀の作曲 現代音楽の理論的展望』 音楽之友社

海老澤敏、上参郷祐康、西岡信雄、山口修『新編 音楽中辞典』 音楽之友社、2003年

上尾信也『音楽のヨーロッパ史』講談社現代新書2006年

大町陽一郎クラシック音楽のすすめ』講談社現代新書1992年

岡田暁生西洋音楽史中公新書2008年

岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』中公新書2009年

カールハインツ・シュトックハウゼンシュトックハウゼン音楽論集』 現代思潮新社

松平頼則『新訂・近代和声学 近代及び現代の技法』 音楽之友社

宮下誠『20世紀音楽 クラシックの運命』光文社新書2006年

『千住博の美術の授業 絵を描く悦び』を読んだ。

 

千住博の美術の授業 絵を描く悦び (光文社新書)

千住博の美術の授業 絵を描く悦び (光文社新書)

 

 新書という読みやすい類の本でこれだけの内容が書けるのはすごいなと純粋に驚いた。一生何かを続けていくということがどれほど難しいことなのかが分かる一冊になっている。そういう意味で、絵描きでなくとも何かをつくる人、つくろうとしている人には是非薦めたい。私は創作面ではやる気のない人種になるため、この本を読むのは正直しんどかった。何故なら、「一にも二にもまず描け(つくれ)」という話であることが嫌というほど分かるからである。この本で惜しいなと感じたのはそういった点で、つまり、何か好きなものが明確にある人でないと本の内容がまるで意味を成さないということだ。好きなものを見つけてさえいれば、この本は非常に実践的でありがたい内容になっている。

詳しい内容について触れたいところがある。カバーでも引用されている箇所だが、絵画とイラストの違いとは何なのかといったところである。イラストは記述的、つまり説明的な性質をもっているのに対し、絵画は「問いかけ」であるといったところが実に興味深い。そういえば、ある詩人も「詩は説明になってはいけない」と述べていたのを私はふっと思い出した。

結局芸術とは答えの返ってこない永遠に向かう問いかけのようなものです。 

この部分を見たときうーんと首を縦に振り唸った。音楽美学とはまさにその性質の関連として生まれたものであるだろうし、優れた作品には多くの批評文がつくなということが分かっているからである。芸術が何らかの「答え」であるとしたら、誰もが考えることを放棄するであろう。「問いかけ」であるということは、鑑賞者に能動性を生じさせるということである。それは鑑賞の意味を生むことにもなっていて、芸術が鑑賞ありきで成立するということにも繋がっている。本著で言うところの「説明になってはいけない」というのが写実的になってはならないと同じ意味なのかというところまでは分からなかったし、音楽が記述的になるということはなさそうな気がするため、理解は浅いものになっているが、この辺りのことは間違いなく重要なポイントであるなと確信している。

日本美術は疎か西洋美術でさえ良く知らないため、美術に関することを呟ける自信はないのだが、この本を通して分かった日本美術画の定義は、使う素材が岩絵具や墨といったものであり、かつ日本画的な思想のもと描かれているといったところであろうか。日本画的思想とは例えば、「余白」の使い方に現れるものである。

 現代の欧米では、塗り残しはたんなる塗り残し。つまり画面は合理的遠近法にのっとりながら「埋めて」ゆくもの、という考え方が大勢を占めています。描いているところにこそ価値があり、それは認識の結果であり、風景画とは駆逐し、未知から獲得していった知的征服物の象徴だったのです。

しかし、私の作品の場合、塗り残しが「空」であり、「画面中央の鏡のような水たまり」だったのです。つまりそこがすべての生命の誕生と宇宙の神秘を現す雨の存在の象徴としての雲、そしてすべての生まれ出た海なのです。つまり塗り残しこそ、画面の中で最も大切な部分だったわけです。

音楽の場合、ジャンルによるものの考え方というのはなかなか見えにくい。西洋音楽と日本音楽では相当な差があるが、ジャンルが新たに生まれ、二、三のジャンルが混合されていることもしばしばあるため、例えばポップスとロックの差というものは極めて小さいものになっている。美術も禁則(というのかは知らないが)を破ることが当たり前になった現代では、その意味はあまり見えてこないかもしれないが、この本に登場する絵の場合はそれがはっきりとしているため、思想の重要性にも繋がっているのが分かる。私が注視したいのは、ジャンルごとの定義(思想)をすることではなく、ものの見え方、考え方は作品に表れ出るといった部分である。そのような意味では、やはり作品の基盤にある観念といったものは必要不可欠である。具体的には、例えば音楽にも休符というものが存在する。日本画的な意味での余白とは異なるが、休符をどのような意味で扱うのかという問題は十分に考える余地のあることだと気付かされる。

本全体の印象としては、肯定できる部分が多く、素晴らしい著書であることは認めるが、実践的な部分に関してはあくまで一つの方法でしかないということには気をつけたいし、大前提として「自分にはこれだ、これしかないと言える好きなものがある」という人向けな本である。つまり、これから何か探していこうという人にとっては酷な内容であり、逆に好きなものがあって、毎日それに向かえている人は精神論的な箇所は読み飛ばしても問題なさそうである。

一つ腑に落ちなかった内容がある。「美しいものは国境を超える」といった箇所である。美には様々な形態があり、確かに国境や時代を超える美しいものは偽りなく美しい。しかし、美しいものすべてが国境や時代を超えるわけではないし、その差から前者が優れていて、後者は紛い物であると決めつけるのはどうなんだろうと今の私は考えている。認知のしやすさが美しいという感覚を呼び起こしている可能性がある。しかし、その感覚でしか鑑賞ができないというのは芸術美の追求において足枷になっているような気がしてならない。これは非常に非情動的な考え方であるし、実に極端なものであるに違いないことは承知の上だが、もっと美というものは広く捉えられるべきではないか、その可能性を探っていく必要があるのではと思うのである。

所謂普通のクリスマスイブを過ごしてみた。

私は日本のクリスマスという行事が不自然に見えて仕方がなく、偏見の眼差しで日本人のクリスマスの過ごし方を捉えている節があり、時にひどく侮蔑的にさえ見てしまうことがあるのだが、実際のところそのような過ごし方は面白いんだろうか、という疑問があった。そもそも「普通」とつけてしまうからには大半の人に当てはまっていなければならないが、とりあえず私が普通と呼んでいるものを示しておこうと思う。好きな人と出かけるかご馳走を作るかして何らかの記念日やお祝いという形で過ごす過ごし方を私は普通と呼んでいる。

ところで、他の日は気にならないのになぜクリスマスだけこうも気になってしまうのだろうか。おそらくだが、それは幼少期の過ごし方が影響しているのではないかと考える。クリスマスは昔、一年で最も不思議で幸せな日だった。何故かサンタという謎の人物からプレゼントが贈られてくるし、その前日には良く分からない謎のお祝いとしてご馳走が出た。ケーキが食べられる、ご馳走が食べられる、おまけにプレゼントがもらえる。理由なんて必要なかった、それは幸せなことに違いなくて、そしてその幸せは当然他の人も同様に与えられるものだと思っていた。

でも、幸福の色はひとつでないことを知り、(幸福は他の人も同様にもたらされるわけではないというショックがあり)サンタは親の「愛」によるものだと知り、お祝いは一応キリスト教と関係があることを知ってからは不信感が募るようになってしまった。形骸化されたものというのはやはりやっていて的を射ないなと感じてしまうし、それを楽しむにはそれに相応しいだけの幸福の自覚がベースに必要そうである。私はそもそも祝い事が好きではないし、理由のない祝い事なら尚更そうであり、さらに幸福を恒常的なものとして自覚するということは苦手で仕方がない。そういうわけで、クリスマスを「祝う」のにかなりエネルギーを要するため、クリスマスと託けて料理をする以外のことは普段していない。

私が普通のクリスマスイブを過ごすきっかけは、彼のご両親の心遣いによるものだった。そのため、ノーということができなかった。誘われたからには楽しもうとしたが、結果から言うと、彼のご両親には申し訳ないが、いつもの過ごし方の方が充実しているように感じた。

24日、その日はクリスマスコンサートを聴きに行った。内容はミーハーといえば良いのだろうか、有名どころしかない曲目が並び、その時点で私は少しげんなりした気持ちになってしまっていた。しかし、思いの外演奏は良く、ラインナップの自由さからは想像できない理知的な演奏だったように思う。ただ楽譜通りすぎるというか、もう少しその行儀の良さをコントロールできる範囲で上手く外せていたらより良かったかもしれない。ソプラノ歌手の歌声でビブラートの揺れ幅が広すぎて若干恐怖を覚えることがあり、また、曲によって音のばらつきが見られることがあったがアンコールに何度も応えるような演出と、曲数の多さを考えると値段相応かそれ以上のように思えた。ホールは文句のつけどころがなく、綺麗に音が伸び、音と音が溶け込むような感じがして心地良かった。

この時点で帰宅してご馳走を作って食べていればもう少しクリスマスが楽しいものだと思えたかもしれないが、この後が結構大変だった。軽食を済ませた後に、六本木ヒルズに向かい、列に並んだ。プロジェクションマッピングや、プラネタリウムのあるイベントがあるとのこと。私のために彼のご両親が考えてくれたプランだったため、行くことにしたが、90分待ちという予想はしていたけどやっぱり待つなあというだるさに早速見舞われた。そして楽しめる人もいるかもしれないので、行った感想をざっくり言うと、私には合わなかった。あんなにお金をかけても人を楽しませることができないのは逆にすごいなと思えるほど、無駄にお金のかかったイベントであった。ちなみに彼のご両親も不満気であった。

その後に見た宇宙展もあまり食指は動かなかったが、プラネタリウムもどきよりは全然マシで、インタラクティブ・デジタル・インスタレーションと呼ばれる体験型の作品は評価できた。よく出来ていたが、音楽に関していうならスピーカーの数を増やし、会場を包み込むような感じに設置し、音楽をそれ用に立体的に制作すれば、もっと映像との一体感が楽しめたのではと思う。

一通り「楽しんだ」後、銀座のイタリア料理のお店で夕食。クオリティはかなり高かったし、通常のコースであればコスパも良いんじゃないかと思えるほどの料理であった。(クリスマス用のコースは少し高めに設定してあるような気がしてしまった。)ワインが美味しく、食事も美味しく、話も楽しい。こういう体験は久々だなと心から喜べた。そして銀座の街を歩き、なぜかクリスマスケーキを購入し、帰宅。

印象的だったのは、並ぶ人達の顔が皆幸せそうだったことだ。なぜ、あんなに並んでおきながら幸せでいられるのか。そして、なぜあの無駄にお金がかかったセットをそれなりに楽しめたのか不思議だった。つまるところ、なぜ日本人がクリスマスを楽しめるのかという疑問が湧いただけの1日であった。あんなに大変な思いをしてまでして、クリスマスを楽しもうとする人のことは理解できないが、人生は楽しんだ者勝ち、というわけで楽しめる人は強いなと感じた。

クリスマスに対して私は否定的な目で見ているように思われるかもしれないし、実際そういう面があるのは拭えないが、楽しめるなら楽しんだ方が良いとは思っているため、クリスマスなんて行事がなくなれば良いと思っているわけではない。

ただ、私はなんとなくな「中身のない」お祝い事であるクリスマスにやはり違和感を覚えているに違いない。私が子供にクリスマスという「幸福な」イベントをするかと言われると首を傾げてしまう。心から祝えない行事なんてやったところで子にもそれがバレてしまうんじゃないかと恐れているからだ。私と同様のクリスマスショック的な魔法から覚めてしまうという経験をさせたくはない。「失う辛さより、何もない寂しさなら耐えていける」といった心から来るんだろうか。何にせよ、幸せは演出するものではないと思う。もっと自発的な何かが良い。

行動が上手くできないため、改善を図るの巻

この行動力のなさは人格的なものなのか、病気のせいなのか未だに判断がついていない。「やる気がない」というのは言い訳になるが、病気をする前に難なくできていたことができないとなると、やはり病気あるいは薬のせいでやる気が出ないのではという気がしてしまう。

稀に行動できる時もある。行動をするまでに言葉にならない葛藤があり、それを打ち破れるだけの気力があるとそこでようやく行動できる。しかし、行動できたところでその状態を維持できるかというとこれもまた微妙で、集中力が続かないために行動し続けることも困難である。この2つの問題が解決できれば、やりたいことをもっとできるようになるのに、と普段考えているのだが、どうにかならないのだろうか。

読書に関しては、昔はさほど気合を入れて読むということがなかったように思う。児童文学や新書という比較的読みやすい類の本を読んでいたからというのもありそうだが、最近その手の本を読んでも苦しいことが多いのを考えると、やはり読む力が衰えているように感じる。気力30ぐらいでだらだらと読めるようになるのが理想的だが、果たしてそれが今の私で可能なんだろうか。

昔はやりたいこととやらなければならないことを全てやるために時間割を作っていた。やりきれない時は睡眠時間を削ってでもやり通すというスタイルであったため、それが病気になる一要因になっていたのではないかと今は分析している。時間割を作ってそれを遂行することは、一見合理的であるように思えるが、これは精神衛生のことを考えると実に非合理的であったと考える。しかしここにヒントがあるのではないだろうか。何パターンか時間割を作っておけば実行できる確率は上がるし、やる気を最大限活かせそうな気がする。

過去の失敗から同じ方法を取ることは避けてきたが、そろそろ再挑戦しても良いような気もしてきた。もちろんやり方は少し変えて、気が乗らない日は思い切りだらだらするようにしたいと思う。

というわけで時間割の作成に励むことにする。